書物棚2

□狐のお絵描き。
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近江・佐和山の殿様である石田三成の筆頭家老の屋敷には広い的場がある。
彼は武芸の鍛練を日々怠らない。その逞しい体躯はその賜物。
その的場では風を切る音と矢が的に当たる小気味良い音が繰り返されていた。
弓を握るのは屋敷の主――島左近。
真剣な眼差しと空気に包まれた左近は武士の顔をしていた。普段、飄々としているせいかいつもとは別人の様だ。
曝された鍛え上げられた上半身は歴戦の跡だらけ。
そんな左近を三成は屋敷の中からずっと眺めていた。
いつもとは違う彼の魅力を視覚で楽しんでいる。
ふと、三成は何かを思い付き、立ち上がって、どこかへ消えた。
左近はそれにすぐ気付いた。今の左近は四方八方に気を張り巡らせる武士。
周りのあらゆる動きに敏感だった。
これは単なる弓の鍛練ではない。矢を撃ちながらその頭の中では戦場にいる自分を思い浮かべている。
三成はすぐに帰って来た。
手に紙と筆。
こんな所で仕事か…?
三成は広げた紙に何やら描き始めた。
流れる筆が紡ぐのは文字ではない。
それは絵だった。
左近は三成とは随分長く共に過ごしてきたが、絵を描く三成を見るのは始めてだ。
これは珍しい。
「何を描いていらっしゃるんですか?」
左近は張り詰めた気配を解き、いつもの明朗な笑みを三成に向け、声を掛けた。
「左近を…描いている」
少しだけ、照れたような声で三成は答えた。
「左近を?殿が?これは嬉しいですな」
左近は弓を置き、入室し、三成の手元を見る。
まだ途中過程だったが、三成の生み出した左近は見事なものだった。
「凝視するな…上手いものじゃない」
自信家の三成にしては珍しい謙遜。
「いえいえ、お上手ですよ。世辞じゃなくて、本当に」
左近が嘘を付いていない事は三成によく伝わったが、自分ではそうは思わないので、首を横に振った。
「上手く描けぬ。絵は久々だ」
三成は筆を置いた。
「元服してからは初めてかもな」
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