チャイナ☆ラブアル

□第八話
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刻龍は香鈴のことを家まで送り届けてから、ふと夜空に浮かぶ月を眺めてみた。
「月が、ずいぶん高い位置まで上がっていますね・・・」
一人そう呟いてから、刻龍は今日中に父へと出さなければならない報告書があることを思い出し、足早に家へと向かっていった。



刻龍が家に帰ると、摧家で共に貿易業を営む侍女が数人パタパタとこちらへやってきた。
「お帰りなさいませ、坊ちゃん」
「旦那様が今日の報告書を出していただきたいと」
用件を述べる侍女に、刻龍は適当に相槌をうつ。
「あぁ、今から出しに行く」
「旦那様は、現在自室にいらっしゃいます」
「分かった、ありがとう」
刻龍に礼を述べられた侍女は頬を赤く染めながら「いえいえ、そんな・・・!」などと呟いている。周りの侍女達も甘いため息をついている。
いつものことなのか刻龍は特に気にせず、そのまま父、謙浄の自室へと向かった。


「お帰り、遅かったじゃないの」
謙浄は自身の座っている席の向かい側を指差して、刻龍に座るように促す。
刻龍もそれに従い、向かいの椅子へと腰掛ける。
「これが、今日の報告書です」
数枚の紙を刻龍が謙浄へと差し出すと、謙浄はそれを見ながら「妥当な値段ね」と納得の意を示すように二、三回頷いた。
「それで、今日帰りが遅くなった理由は?」
先ほどの報告書を机の端へと追いやり、謙浄はにやりと笑みを浮かべながら尋ねる。
「その顔、大体事情は分かっているという意味でしょう?」
ばつが悪そうに刻龍は謙浄から目をそらして「野暮用です」と短く言い捨てる。
「ずいぶん色気づいたわね、うちの息子も」
面白そうに謙浄はケラケラと笑っている。けれど、その表情がいきなり笑顔から真面目な顔へと変化した。
「・・・ねえ、刻龍。まだ香鈴ちゃんに・・・あのこと、言っていないの?」
刻龍が一瞬気まずそうな顔をし、しばしの沈黙ができた。
けれどすぐに普段通りの余裕な態度を取り戻して、黒曜石の輝きを宿す黒目で謙浄を見据える。
「あのこと、とは?」
その息子の態度に、謙浄はまたケラケラと笑い出した。
「やっだもぉー! この子、本当に見ないうちにいろいろと成長しているわー! どこでそんな態度覚えたのよー!」
まだ笑いが収まらないらしく、肩を震わせながら「亡くなった母さんにそっくり〜!」なんて言っている。

しばらくすると笑いが収まった様子で、小さくため息をついて頬杖をつきながら上目遣いで自身の息子を見上げる。
「3年前のことよ。あの時のこと、香鈴ちゃんに教えていないの?」
謙浄の言葉に、刻龍は目を見張った。
「・・・同じ子なんでしょ?」
さらに畳み掛けるように、謙浄がそう言う。





今から3年前の出来事。

刻龍が商家の家に行き、商談を済ませた後のことだった。
この頃からすでに刻龍はほとんどの仕事を覚えていて、今回の商談も早くに終わった。
「しばらく時間がありますね・・・何をしましょう」
腕を組みながら市を歩いていると、路地裏のほうからふと言い争いをするような声が聞こえた。
「痴話喧嘩・・・でしょうか?」
暇をもてあましていた刻龍は、暇つぶしくらいにはなるだろう、という思いで静かに声の聞こえるほうへと歩を進めた。

影からそっと覗いてみると、予想通り一人の男と一人の女・・・少女に近い歳であろうか、二人が言い争っていた。
しかしよく見ると、少女の腕を男が掴んで無理やりその場にひきとめているようだ。
「だから! その縁談は無しになったって何度も言っているアル!」
「何意地張っているんだよ。断る理由なんて無いだろ!」
「私が納得していないことが一番の理由ネ!」
この言い争いの内容は、男が無理やり少女に求婚しているというもののようだ。
鈍感で嫌われていることに気づかない求婚者を女が突っぱねている・・・というところだろう。
「なら・・・力ずくで何処にも嫁げない体にしてやる!!」
男はそう言った瞬間、物凄い形相で少女の両肩を鷲掴みした。
「痛っ・・・何するネ!」
少女はその男を睨みつける。
そして次の瞬間、男は地面へと叩きつけられた。考えづらいが、おそらくあの少女が男を投げ飛ばしたのだろう。

「(とてもいい身のこなしですね。惚れ惚れします)」
うっとりとした表情で、刻龍はその少女の身のこなしを眺めていた。

「私に勝とうなんて、思わないほうがいいアル」
得意げに鼻を鳴らし、少女は男に背を向けて立ち去ろうとした。
しかし。
その男は後ろから少女を羽交い絞めにし、身動きをとらせなくする。
「何するアル!! 離すヨロシ!!」
必死で男の手から少女は逃げ出そうとするが、力で男に敵うわけがない。
「言っただろ・・・何処にも嫁げないようにしてやるんだ!!」
そう言った男は、少女の襟元を思いっきり引き千切った。
少女の顔はみるみる羞恥で赤くなる。そしてあまりの恐怖に涙が流れ始めた。
「・・・だっ」
小さくて聞き取れない声だったが、おそらく「嫌だ」と言ったのだろう。

その瞬間、刻龍の頭にカッと血が上った。

「全く、惚れた女にこんなことをする下衆がいたとは・・・ある意味驚きですね」
気がついたら、少女の前に飛び出していた。
そして目の前にいる男の腕を、音がするほど捻っている。
男が時折小さな声でうなっているが、この際どうでもいい。
そして軽々とその男の体を投げ飛ばす。
地面に叩きつけられる大きな音がした。
男はあまりの痛さに気絶してしまったのか、もう先ほどのようには起き上がってこなかった。
「あ、あの・・・貴方は誰ヨ?」
「通りすがりの者です」
そう言ってから、できるだけ少女に視線を向けないように上に羽織っていた自身の上着を手渡す。
「着てください」
遠慮がちにだが、少女はそろそろとその上着に手を通す。
「大丈夫ですか?」
少女が上着を羽織ったのを確認してから、向き直りそう問いかけてみる。
さっきの威勢が嘘のように、少女は震えながら控えめに頷くだけだった。
「しかし・・・先ほどの技は惚れ惚れとしましたよ。誰の仕込みで?」
先ほどから気になっていたことを、場違いかとも思いながら訊ねてみる。
「父に、教えてもらっているネ・・・」
「そうですか、お父さんに。なかなか綺麗な身のこなしでしたよ」
感心したという意を示すようにこくこくと頷いてみせる。
しかし少女は顔を真っ青にしながら、震えているだけだった。
「・・・すみません、もっと早くに助けるべきでしたね」
そんな少女の様子を見て、何故自分は遊び半分で見ていただけで、こうなる前に止められなかったのかと少し罪悪感がわいた。
しかし少女は、その罪悪感を感じないでほしいというかのように首を振った。
「ありがとう・・・」
少女の見せる笑顔は、とてもぎこちないものだった。無理に笑おうとしていることは、おそらく誰が見ても分かるだろう。
その少女の顔を見た途端、いてもたってもいられなくなり、気がついたら無意識のうちに彼女の腕を引いていた。
「な、何処にいくアル・・・?」
「私の家です」
安心させるように彼女に笑顔を見せると、彼女も少し表情を和らげて頷いたので、そのまま自宅へと向かった。

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