自転車を漕いだ。坂道は手強い。
真後ろに感じる体温がくすぐったくて、恋しい。

「大丈夫か輝。 代わってやろうか?」
「肉体派の、輝先生、を、舐めてもらっちゃ、困るぜ北見」

ぜいぜいと途切れ途切れな俺の言葉に、ふっ、と北見は笑う。

正直、俺より重量のある北見を乗せて急勾配なこの道はキツかった。多分、北見が漕いだ方がスピードも数段上がるだろうと思う。
だけど。
今日ばかりは何を言われようがからかわれようが絶対に譲らない。

「……ったく、なんで車じゃ駄目なんだ? 明日筋肉痛になっても知らんぞ」
「う、るせ、黙って乗ってろ。今日だけは、これじゃなきゃ、駄目、なんだよ」
「ふん。お前の好きにすればいいが、肩が上がってるぞ。限界なんじゃないのか?」
「まだ、まだあ!」

俺はぐうと腰を浮かして、立ち漕ぎになる。北見の目の前に俺の尻が行ってしまうが仕方ない。あと半分、登りきるまで我慢してもらおう。

「おい」
「な、んだよっ、もう、少しで、着くから、黙って、ろ」
「ポケットに入ってるのは何だ?」
「へっ?」

それは、と言いかけて俺は言葉に詰まった。ってかもしかしてそれが何なのか気付いててワザと聞いてるんだろうか。
何もクソもそれは、あんたの為にあるものだ。
だいたい今日が何の日か知ってるはずだろう?

「ま、さか、北見、あんた……」
「なんだ? 何がまさかだ?」
「今日、何日か分かってるか?」

未だ残暑が厳しいむっとした空気がまるでまとわりついてくるようだ。
ぐっしょり濡れて、きっと色を変えてしまっているTシャツ。汗で張り付いた前髪から幾筋もの滴が飛んでいく。
こんな暑い思いをするのは、見せたい景色があるからだ。今日という大切な日にあんたに。

「……今日? 今日は9月の、」

俺はあんた程稼ぎも良くないし、流行に詳しくないし、どんなものがその年代の人に喜ばれるかなんて分からない。

「16日、……ああ、そうか」

だから俺が大好きな風景を見せたいと思った。気の利いたサプライズなんて出来やしないから、俺が大好きなあんたに。最高に綺麗だと思うものを。

「……ぷっ」
「な、なに笑ってんだよ!」
「ああ、本当に可愛い奴だな。お前」
「てめっ」

男に可愛いは禁句なんじゃないか?
見えなくても後ろの北見が肩を震わせて笑いをかみ殺しているのが分かって、俺は不機嫌になる。

「本当に、どうしようもないくらいに可愛い奴だよ」

文句でも言ってやろうかと思った矢先に、溶けそうな甘い声。
耳に吹き込むような囁きに、俺の怒りが消えていく。それが悔しくて坂を登りきった瞬間に自転車を止めた。

「……着いた。降りろよ」
「嫌だね。なぁ、今から何をしてくれるんだ?」

そっと腰に腕を回されて俺の頭のてっぺんに北見の顎が乗せられた。
心地いいバリトンが雨のように降る。

「……夕焼けを、見る」
「そうか。……楽しみだ」
「それから、これ」

俺は先ほど北見が知りたがっていたポケットの中身を振り向きもせず渡した。
背中越しに息を飲んだような気配がして俺は恥ずかしくて目を瞑る。

「た、誕生日おめでとう」

それから自分でも嫌な言い方だな、なんて自覚しながらこれだけは伝えなくちゃいけないと思いそう付け加える。
北見はくしゃりと俺の頭を撫でると弾むように礼を言ってくれた。

「ありがとう」

包装紙を剥がす音がして、しばらくすると北見は俺の肩を叩く。

「……似合うか?」

振り向いた先、北見の首にぶら下がる金属。
慣れない店で、店員にあれこれ助言されながら選んだ品がそこにはあった。
いたってシンプルなデザイン。純銀仕立てのトップのプレートに嵌め込まれているのは小さな小さなサファイア。

「似合ってると、思う」

北見の胸元で存在を主張するブルー。
それがふいに、沈みだした太陽に反射してまばゆいくらいに輝く。

「これは、家宝にする」
「大袈裟言うなって」
「大切にする」
「……うー」

そう言ってくれたのが嬉しかったけど、あの夕日に負けないくらいに俺は顔を紅くしてしまう。それが恥ずかしくて腕で顔を隠した。

「夕焼け、見ないのか?」
「北見が見ろよ」


俺はいつも見てるから。
このきれいな景色を、北見にも見てもらいたいから。


ひどく自然に俺を抱きしめた北見は、もう一度ありがとうと言った。
だから俺も、誕生日おめでとうと小さく返した。



『サファイアと夕焼け』
2008.09.16
一縷



誕生日おめでとう!





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