ボクは泣くこともできませんでした。

「----、--」
「ボーヤ、みているか、これが、かれだ」

振り向いて、シャーディーが言いました。彼はエジプトからやってきたのです。博物館で、古の王のミイラの前でひとり泣いていた男の人、恐いひとです。シャーディーが言う"これ"とは、一体何のことでしょうか。彼が黒いコンクリートから出した、金色にそびえ立つ石版に縛っている自分とそっくりの姿かたちをした彼のことでしょうか。それとも、今、その彼の口からのっと出てきた、黒いかたまりのことでしょうか。
分かりませんでした。遊戯は困惑して体はぶるぶると震えていましたし、もともとあまりよくない頭はさらに混乱して、もう目がまわって、まわって、吐きそうなくらいでした。
シャーディーは、この真っ暗な闇を切り取ったかのような彼の、さらに奥深い唇の底から、左手を差し込むと、彼の「たましい」を引き出してしまったのです。たましいは、無理に引き剥がされたせいか戸惑うように揺れながら、なお黒く、どっぷりと濁り、それでいて、陽炎のような身を艶やかに光らせているのです。
遊戯の体から、ぞわぞわと何かが這いのぼり、ドッと脂汗が噴き出しました。シャーディーは、彼を自分の半身だと言います。また体が震え出しました。彼がもう一人の自分なら、あのみにくい「たましい」も、自分の半分であるというのでしょうか。
シャーディーの手の中でなおも光り続けるそれと、たましいを抜かれぐったりと項垂れる彼とを見較べて、めまぐるしい視界とよるける足を奮い立たせ、遊戯は半身である彼の足元に近付きました。コンクリートを割って現れた石版に、学生服の腕の銀の装飾品が縫い留められ、その眼は虚ろに開いたままです。

「かれ………もうひとりのボクは、わるい人なの」

するとシャーディーは緩慢な動作で手の中の「たましい」を遊戯の方へと向け、冷ややかに抑揚なく言いました。

「そうだな。これほどに傲慢な魂を持っているのだから、さぞおおきな咎をもった罪人だろうさ」
「そんな……」
「ボーヤ、君はこの魂を美しいと思うか」

遊戯の歯が小刻みに鳴り合います。シャーディーの鋭い目が、自分を見透かしているのです。影もみえないこの場所に、黒い大きな化け物が、またたく間に自分を飲み込んでゆきます。顔の前で、たましいがぬらりと光りました。
遊戯がコクリと頷くと、シャーディーの右手の秤がカタリと傾きました。

「あ、あ」
「ボーヤ、とても残念だ」
「ま、まって、まって、かれに、ボクのたましいをあげる。あげてよ、ねぇ、」
「君の魂は彼に相応しいかい」
「うん、うん」

また秤が傾きました。自分が嘘をついている。遊戯は信じられずに、煩いくらいの心臓が、風船のように破裂してしまうのではないかと思いました。

「ボーヤは優しい子だ」
「や」
「純粋で綺麗な心を持っている」
「やめて」
「こんな彼を自分の身の内に住まわせる寛容さもある」
「ちがう!」
「違わないさ、可愛いボーヤ」
「ああ………」

シャーディーの左手にはまだ彼のたましいがぼんやりと煙のように揺れています。吐き気がして、見たくないと思うのに、目を逸らす気力さえ無くなってしまったのです。ふいにそれが視界から消えました。シャーディーが彼の前に立って、彼の口に左手を押し付けます。

「これは返してやろう、君の大切な半身だ、いなくなっては困るだろう」
「-------、……」

たましいはするりと飲み込まれ、もうひとりの遊戯の目に光が灯ります。まだぐったりとしていますが、じきに意識もはっきりするでしょう。それよりも、自分の半身が息を吹き返したというのに、遊戯の心はいまだ休まることなく、それどころか、さざめく木々のように波打って荒れているのは何故なのでしょう。何故彼が助かったことの喜びを、素直に受け止められないのでしょう。
コツリと小さな反響と共に、シャーディーが遊戯の前に立ちました。黒一面のこの場所にあっても、この男の影だけは、暗く深く、どんどんと大きくなっていくようです。そしてまた遊戯も、自分が黒く、どんどんと濁りつつあることを感じていました。
シャーディーがまた一歩、遊戯の前に踏み出します。
遊戯の心はもう、化け物に食べられてしまったのでしょうか。いいえ、それはまだ分かりません。まだ、最後の審判は下りていないのです。
シャーディーとついに向かい合い、遊戯は膝をつきました。目の前には、あの左手が見えます。遊戯はゆっくりと目を閉じました。


「最後の質問をしよう、かわいいボーヤ」



 


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