小説とか

□お題挑戦
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・この雨は涙の味がする

春だと言うのに、人の都合など構う事なく雪が降っていた。傘なんてモノは無いが、積もったら払い落とせばいいと思って道場を発ち、後悔したのは夕が近くなってからの事で。

遂に足がぬかるみに入った。雨樋に沿って歩くと、足下に用心しなければならない。このまま長屋に戻るのも詰らないと思い気紛れに道を変えた後であったから、少しばかり腹が立った。

「畜生ォ…何だってんだ」

雨なのに肌寒い。腕を摩りながら軒に避難した。何処からか、子供の笑い声が聞こえて来る。こんな天気に外で遊んでいるのだろうか。雨粒で霞む通りを横目で見やる左之助。
―どうやら違う様だ。

「帰れ」
「近寄るな」
「どうした?もう降参?」

士族の少年達だろうか。遊び、ではない。一人を取り囲んで、帰れと言いながら腕を掴み、近寄るなと言っては詰め寄り、蹲る少年を他が足蹴にしている。見かねるより先に、左之助の体は動いていた。


「オイ、ちょっといいか?」


強引に四、五人の人間を掻き分けて、足蹴の少年の前に立った。何だよお前、と主格の少年が顔をしかめて言う。何処かの「東京府士族」より、数段も生意気な面だった。左之助もまた、睨み返す。

「俺ぁ弱い者イジメをするのも見るのも嫌いでよ。タダの通りすがりだが止めに入らせてもらっただけだ」

見下ろすと足蹴の少年は震えている。寒いのと、怖いのとを一身に受けていた。左之助の口からは、深い溜息が洩れた。

「どうした?俺に文句があるなら掛って来いよ。無いんなら、とっとと家帰ェれ」

凄味を効かせて拳を鳴らしただけで、少年達はあからさまな舌打ちだけを残して退散していった。蹲る少年を心配して起こしてやると、泥まみれの袖で目を擦っていた。顔は見えないが、弥彦より一つ二つ上の様。

「男が易々泣くもんじゃねぇ。どうしたんでぇ、顔上げな」

軒下に連れて行って、訳を聞いた。普段はそこまで私情に付き合わないのだが、少年がやっと上げた顔に何処か見覚えがあったから。

彼の両親は、戊辰の折に亡くなったそうだった。父親の方は今の政府に"賊として殺された"と言ったが、それ以上は語らなかった。顔すら憶えていない父親の行いを幾ら咎められても、彼にはどうしようも無い。士族の少年達はそれで彼を虐げていた。

「親父さんをねぇ…俺も十年前、親父じゃねェが一番尊敬した人をそうやって殺された」

弱きを助け、新時代を築く為に戦った人が何故味方である筈の政府に殺されなければならなかったのか。世の無情というものが今に至っても理解出来ない。

「きっと、お前の親父もそうだったんだろうよ。生き様も、死に様も」

「…兄ちゃん、父さんを知ってるみたいな事言うんだね。他人の気がしないよ」

他人の気がしない。左之助も同感だった。真っ赤になった顔を雨で冷やす少年の横顔が、やはり誰かに似ている。答えは直ぐそこにあるのに、どうしても出せない。…彼にとって出さない方が良いとでも言うのだろうか。雨が、小降りになった。

「まぁ、親父が何をやってたとしても、お前はお前だ。こんな時世だがよ、自分をしっかり持っちまえば、何言われたって気にはならねぇ」
「だがよ、親父にも誇りを持ってやれ。俺が思うに、お前の親父はきっと、俺が尊敬した人と同じ理想を掲げていた筈だ。多分いや、絶対だ。…何、無理強いはしねぇよ」

熱くなってしまった。下手なりの助言になったかは分からない。唯、少年が笑みを浮かべたのは確かだった。少年は、袴に付いた泥を勢い良く払って立ち上がった。

「兄ちゃん、ありがとう。僕なんかの事構ってくれて。」

気にすんな、と肩を軽く叩いた。少年の涙が収まる頃、ようやく雨も上がった。軒下から出てみると、冷えるが、何だか心地好い風が吹き抜けていくのを感じる。

「お前お前って呼んじまったな。俺は相楽左之助。相楽はその人から貰った姓だ。名前は?」

「…木村、カワジロウ」

そして、誇らし気に付け加える。

「木村は、僕が一番誇るべき人の姓!」

走り去る彼の影は、とても長く伸びていた。振り向くと、西の雲間には橙の夕日。確か、四月の始めの事だった。


―そういやぁ、あの時の雨が塩っぽかったのは、俺の気のせいだったんスかね…





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