中学三年生、4月。
陽気に充ちて桜が舞う 今日この日。
窓から見下ろす校門をくぐる新入生たちは、新生活への不安より期待をちょっとだけ多くした顔をしている。
教室内を見渡すと、クラスの女子はさらに有名になった黄瀬のことで盛り上がっていて、男子といえば学校一のプロポーションを持つさっちゃんと同じクラスで、ニヤニヤでれでれしてる。
何が言いたいかって、とにかく周りはみーんな浮かれてる。
わたしはこんなに憂鬱なのに。
「なまえ!なまえの番だよ!」
「え!あ、えと、みょうじなまえです。えーと、バスケ部のマネージャーやってます。えーと、応援来てくれたらうれしいです。えーと、よろしく、です」
新しいクラスになったから、それにつきものの自己紹介の時間だった。自分の番が来てたのに、さっちゃんが声かけてくれるまで全く気づかなかった。
他の人の、ほとんど聞いてなかったな。でもさっちゃんいるし、仲いい子いなくて焦るなんてこともないから、いっか。
そのあとも続いた自己紹介の時間はさっちゃんの時に多少歓声が上がったくらいで変わったことも人もなく、平穏無事に終わった。
△▼
「なまえ!お昼たべよ」
「うん」
あたしの前の席、つまり三田くんのに座ったさっちゃんと一緒にお弁当を広げる。
始業式だから部活のない人たちは早々と下校して、教室の人影はまばらだ。
「なにか考え事してる?」
「へ?」
「朝からなんだかぼんやりしてるから」
あー。さっちゃんの観察眼ってすごいな。だから部活でも重宝されるんだよね。頭もいいし。
「…お母さんが再婚するって話あったじゃん」
「あったね」
「相手の人にも子供がいるんだって」
「え!キョウダイができるってこと、だよね」
目を真ん丸くしたさっちゃんに、オレンジジュースのストローをくわえたまま頷いた。
わたしは小さい頃にお父さんを亡くしている。
だからお母さんは働きながら女手ひとつでここまで育ててくれた。そのことがどれだけ大変かはちゃんとはわからないけど、この年になって少しは考えるようになり、再婚も本当は乗り気じゃないけど文句は言わなかったし、相手の人と親子としてやっていく気構えも出来てる。
「だけど2個上の兄ができるなんて聞いてなかった」
「2個上!しかも男の子なんだ。それは、ちょっとあれだね」
「うー、家に帰りたくないぃ」
「もしかして今日、会うの?」
「…うちで食事会だって」
さっちゃんは苦笑して、そっかぁと卵焼きを口に運んだ。
再婚相手の宮地さんを初めて紹介されたのは去年の11月。シュッとした背の高いイケメンで、年はお母さんと同じ。
物腰も柔らかいし、ちょっとオチャメな面もあって、なによりお母さんのことをみる目が本当に優しいから、いいかなって思った。
その夜はお母さんと男の趣味が同じだって話で盛り上がったりもした。
あれだけ話をしといて息子のことを言わなかったのは、絶対わざと。しかもメールで伝えてきたし、なに考えてるんだろ。親子歴14年、わからないものはわからない。
「でもさ、なまえ。新しいお父さんカッコいいなら息子さんもカッコいいんじゃない?」
「…それは」
そうかもしれないけど、兄妹になる人がカッコよかったらそれはそれで別の問題があるんだよ。
さっちゃんとは幼なじみで部活も一緒で家も近くて、なんでも話す仲だけど、ひとつだけ、さっちゃんにも言えないことがある
。
さっちゃんに話せたらどんなに楽かって何度も思ったけど、どうしても言えない。とにかくなんて伝えても不機嫌な顔をするアイツしか思い浮かばなくて、わたしは長く深いため息をついた。
△▼
「今日の練習はこれで終了とする。各自ストレッチを怠らないように」
赤司の号令で選手はそれぞれ定位置について、思い思いに柔軟を始めた。
わたしたちマネージャーはケガ持ちの人のアフターケアやボトルを洗ったりと忙しく休む暇はない。お祖父ちゃんが整体をやってるわたしはたいていアフターケアを手伝うことになる。
普段なら1人か2人の調子を確認したらさっちゃんやみっちゃんの仕事が終わるから一緒に帰るんだけど、今日はあんまり早く帰りたくない。
今は宮地さんにも息子さんにも、お母さんにも正直会いたくない。
急に年の近い兄ができるなんて言われたって「はいそうですか。よろしくお願いします」なんてできるほどわたしは大人じゃない。こんな状態で会ったらきっと雰囲気悪くする。感情を隠してきれいな笑顔を作るなんてできっこな、
「ひ!?つめったぁ!?なに!?」
「ぷ!驚きすぎっしょ!」
「黄瀬、なにすんの!!バカアホ変態!!」
背中へ投入されてフロアに落ちた氷を拾って、投げつけてやりたいのを我慢しながらニヤニヤ笑う黄瀬を睨みつけた。
この男のことを優しいだとか紳士だとか、爽やかだとか評価しちゃう騙されてる女の子にこの光景をみせてやりたい。
でもそんなことをしたらわたしの平和な学校生活が脅かされる危険性があるから、なかなか実行には移せないでいる。悔しい。
「変態とかオレにふさわしくなすぎなんスけどー」
「いーや、あんたにぴったりだよ」
「ファンの子なら大喜びっスよ?」
「悪いけどわたしにそういう悪趣味はないの。それよりなに?」
「帰りにちょっとつき合って欲しい所があるんスよね」
もしも今日がなんてことない平凡な日だったなら、こんな誘いになんて乗ったりなんてしないけど、今日のわたしは黄瀬にダウンが終わったことを確認してから更衣室に向かった。
「さっちゃん、帰り黄瀬も一緒なんだけどいい?」
「きーちゃん?…あ、わたし大ちゃんとちょっと寄り道してくから大丈夫だよ!」
「そうなの?だったらわたしも2人と寄り道の方が」
「だ、だめだよ!きーちゃんと約束してるんでしょ!」
「えー、でも…」
「今日はきーちゃんと帰って、今度またどこか行こ?」
「…わかったぁ」
△▼
準備ができたら校門集合ということで、黄瀬を待つこと10分。男が女より支度が遅いってどういうこと。あれだけ身体を動かした後だから仕方ないのかも知れないけど、遅い。電話するかというところで薄暗い中にぼんやり光る黄色をみつけてブレザーのポケットに携帯を滑らした。
「遅いんですけど」
「みょうじが早すぎるんスよ」
「一言くらい謝ろうとかないわけね」
「ごめーん」
「…」
「いつまでそうしてんスかー?行くっスよー?」
既に数メートル先を歩く黄瀬に腹が立つより先に呆れて、小走りで追い掛ける。半歩離れた距離になったところで目的地を聞いてみたら「行けばわかるっス」と返ってきた。なによそれ黄瀬のくせに。
黄瀬は一年遅れてバスケ部に来たけれど、大輝を除けば一番よく話す。話すというより嫌がらせをされるって言った方が正しいかもしれない。会う前に聞いていた黄瀬は、モデルやってて女の子に優しくてしかもスポーツ万能っていう、笑っちゃうくらい完璧な人で、こんな風な関係になるなんて思いもしなかった。
イメージだけで色んなことを避けてたら、いいものも見逃してしまう。
わかってる。でも頭の別のところではわかってない。引っかかりがとれない。
「はい、どーぞ」
「へ?なにこれ」
「見りゃわかるっしょ?」
わかるよ。そりゃあわかるけど、どうして黄瀬がいちごたっぷり生クリームとカスタードがすっごい美味しそうなクレープを差し出してくるの?
「甘いもん食べると元気になるっしょ、みょうじは」
「…わたし、元気なかった?」
「反撃がいつもより弱かったっスね」
言われてみればそうだ。普段ならアイシング用の氷が入ったボックスごと背中に入れてやるくらいの勢いでやり返してるのに、それどころじゃなくて。
…どうやらわたしは自分で思ってるより、今回のお母さんの再婚の件で思い詰めてたらしい。黄瀬に気づかされるとは。
「黄瀬!」
「え、なんスかでかい声出して」
「ありがとう元気でた!」
なんだかやってける気がしてきた。黄瀬とだってこんなに仲良くなれたんだから、あの宮地さんの息子さんと仲良くなれないわけない。
と思いたい…。
NEXT…