恋愛小説集

□禁欲ヴェルダンディ
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【1.あくまで合法的な趣味の件】


 あ、また顎撫でた。これで4回目、と。

 ノートの右上端に正の字を書いて、私は視線を黒板の前に立つ彼に再び視線を向ける。

 白衣を着て黒板に美術史について説明する彼は勿論美術担当の教師。それらしい白衣はチョークと絵具の汚れがやけに目立つ。
 まあ、多少汚くともTシャツにデニムの代わり映えのない服装の上に白衣でもあれば少しは教師らしく見えるってものだろう。

 あ、5回目。ホントに癖だね、顎の無精髭なぞんの。気になるなら剃れば良いのに。

 思いつつ、完璧な「正」の字を仕上げていると、隣りから「和音」と呼ぶ友達の声。顔を上げると彼女はシャーペンでつつくように正面を指す。教壇の方だ。


「青葉。お前、目ぇ開けて寝てるのか。返事しろよなぁ」

「えーと……《はい》」


 何事か分からずに取り敢えず言われるままに返事をしたらクラスに笑われた。そこで先生は溜息。


「お前、しっかりしてるようでちょっとずれてるな。いいか、今説明した所はテストに出るんだから美術部員として赤点取る真似はすんなよ」

「……《はい》」


 美術のテストって、日本の教育制度じゃ殆ど意味を持たないのにようやるわ。

 なんて思いつつも、赤点なんて嫌だから黒板に書かれた印象派の画家達についてノートに書き写す。普段の美術の授業なんて自由度の高い実技ばかりだから耳障りなくらい騒がしいのに、この時ばかりは基礎授業みたいに静かだ。
 逆に静寂が耳に痛い程。

 こう静かだと教鞭を取る先生が石膏像に話してるみたい。

 実際、先生にとって私達生徒は石膏像と変わらないんじゃないだろうか。

 だからあの時、あんなに動じずに告白を受け流す事が出来るんだ。

 記憶の蓋を少し開きかけた所で、私は6本目の《正》の字1本を書き足す。


 何だかストーカー染みたこの習慣。そろそろ着地点を探さなきゃ――なんて、私は早くも7本目の線を引いた。


 
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