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見慣れた景色。

風丸が時折――始めて見た時も――そうしていたように、池の縁に腰掛け、靴下を脱ぎズボンを捲り上げてから、そっと池の中に足を下ろしてみた。

ちゃぷり、と慎ましい音がしたのと同時に、冷たいという感覚が身体を走る。

それでも俺は、そこから足を出すことなく、二、三度水を蹴るようにした。

次第に肌が馴れてきたのか、冷たさは感じなくなった。


「……豪、炎寺」


それは、聞き慣れた、心地のよい声だった。

俺は瞬時にどんな顔をすればよいのだか分からなくなって、その体制のまま答える。

「……風丸?」

意識したわけでなく、語尾が上がったのはきっと、彼がいつもとは違う場所から上がってきたようだったから。

普段なら彼は、今俺がいる辺りから上がってきていた。

俺は気付かれない程度に深呼吸して、ゆっくりと振り返った。

目が合った、刹那。

彼の瞳から、一滴。

けれども何故だか微笑んでいて、その表情の理由が分からず呆然としていると、彼が駆け寄り、抱き着いてきた。

「……豪炎寺、」

「、風丸、お前」

俺は驚きを隠せなかった。

その行動に、というのも多少はもちろんあったけれど、その大半は彼が抱き着いてきたときに、体温を感じたから。

前に彼と抱擁したときには感じ得なかったその感覚に目を見開く。

どういうことなのだろうと疑問に思ってから、ハッとして。

まさかと思いながら彼の腕を掴み上げた。

「、嘘、だろ」

彼の手のひらを見れば、人間と河童の唯一の違いだとも言える指の間にある筈の膜が、水掻きが……なくなっていた。

「どういう、ことだ」

「人間に、なれたんだ……っ」

その言葉が堰を切ったように、風丸の涙はとめどなく溢れた。

しゃくり上げ始めた風丸を抱き留めるために、俺は池から足を上げる。

数分とはいえ水に浸かっていた足は、外に出すとひんやりとした。

しかし、今はそんな感覚に構っている暇はなく、風丸を抱き締める。

暖かい。間違いなく、風丸は人間になったのだとそれだけで十分に分かった。

「……不安、だった。人間になったって分かっても、豪炎寺に会うまでは、こうするまでは、信じきれなくて」

「、」

「……夢じゃ、ないんだよな」

「……あぁ」

無意識なのだろうが、俺の服を強く握り締める風丸の背を撫で、強く頷く。

夢じゃないのだと、彼の身体に刻み込むように。

摩るように彼の背中を撫でていれば、暫くして、次第に彼は落ち着いていった。

完全に涙が止まってから、彼は小さく苦笑した。

「……ごめん、泣くつもりじゃなかったんだけど。本当は、笑って会うつもりだったんだけど」

我慢できなかった、と笑う彼にいや、と返した。

不安だったと聞いたばかりだ。

それは本当のことだと思う。

人間に……自分とは全く違う生き物になろうだなんて、相当の覚悟が必要だろう。

かなり悩んだに違いない。

それでも、彼はありったけの勇気を振り絞って、この選択をしてくれたのだ。

「……ありがとう」

「え、いや……その。俺が勝手に、したことだし。豪炎寺が俺のことどう思ってるかもちゃんと聞いてないのに、迷惑かもって思ったけど」

「……え」

「え?」

「あぁ、いや、そうだよな」

風丸に言われるまですっかり忘れていた。

俺はまだ、彼に想いを伝えていない。

今日の本題はそれだった筈なのに、あまりの出来事につい失念してしまっていた。

俺は風丸からそっと身体を離して、彼に向き直る。

なんとなく、正座をしてしまっていると、風丸も何故だか緊張気味に正座をした。

「風丸」

「、うん」

「俺は、風丸が好きだ」

「……あぁ」

「だから、俺と一緒にいて欲しい」

「、」

「きっと、最後には辛くさせてしまうだろうけど……」

「……は?」

「……って、言おうと思ってたんだけどな。最後のは忘れてくれ」

一応家でずっと考えて、何度も練習したセリフだ。

少し、状況に食い違いが出てしまったため、今ここで変えようかとも思ったが、残念なことに上手く頭が回ってくれなかったため、そのまま暗唱をした。

最後のは俺なりに色々考えたつもりのセリフだった。

それでもいいと、風丸が言ってくれるのを期待して。

しかし、これがこんな形で必要なくなるとは思わかなった。

どんな反応をするだろうと彼を窺い見る。

風丸は、ぼうっと空を見詰めていた。

ここまでしていたのに、俺から告白されることを予期していなかったのか。

なんだかとても愛しく思えて、彼を再び抱き締めた。

「……豪炎寺、あの」

「うん?」

「こんな俺で、良ければ……」

「はは、なんだそれは」

真っ赤になってよく分からないことを呟く風丸に思わず笑みを溢せば、風丸は更に赤くなった。

指摘してやってもよかったのだが、少々可哀想な気がして、俺は彼の指を絡めつつ立ち上がった。

靴下を履く手間が煩わしくて、そのまま靴を履き、靴下は無造作にポケットに突っ込む。

「……とりあえず、行くか」

「え、何処に」

「うちに決まってるだろ」

「……は?!」

急に何を、というような反応の風丸に、こちらも驚いてしまう。

唖然とした顔の風丸に、ゆっくりと問い掛けた。

「……お前、何処で暮らすつもりだったんだ?」

「……あ」

その様子を見るに、風丸はそのようなことまで考えが至っていなかったらしい。

気まずげに視線を逸らす彼に、思わずため息をついた。














2011*01*28
 

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