メイン3
□2
1ページ/1ページ
俺が出会った河童、名前は風丸一郎太というらしい。
随分人間らしい名前だなと思ったが、河童らしい名前というのもよく分からないし、そんなものかととりあえず納得した。
ぱちゃりぱちゃりと水面を蹴る風丸の白い素足にも、水かきがついていて。
「……風丸」
「なんだ?」
「池に住んでるって、どういうことだ?」
「どうって……そのままの、意味だけど」
さらりと答える風丸に、だからそれはどういうことなんだと問いかけようとして、やめた。
彼の言う通り、そのままなのだろう。
「……呼吸は、どうしているんだ?」
「さぁ?」
今度は間を開けずに首を傾げた。
隣に座る風丸は、一見、俺たちとはなんの違いもないように見える。
いや、よく見たところで、水かき以外で俺たちと違うところなどないのだが。
もしかしたら服の下はなにか違いがあるかもしれないが、それは確認のしようがないだろう。
少なくとも、えら呼吸だとは到底思えない。
かといって肺呼吸なのかも疑わしいが。
あぁでも食事はするようだから消化器官はついているのか。
そんなことをとめどなく考えてもみたが、最終的にはすべてくしゃりと丸めて捨てた。
そもそもこいつは妖怪で、だから人間の尺で計れるはずもないものなのだと。
「……あのさ、豪炎寺」
「ん?」
「ニンゲンって、普段、何してるんだ?」
目前に広がる夕日の明るさに目を細めながら唐突に投げ掛けられたその言葉に、なんとなく虚を突かれたような気になった。
分かっている、つもりなのに。
ついつい、同じ人間なのだと思ってしまう。
「何っていうと……学校行ったり、放課後はサッカーしたり、かな」
まぁ、あくまで俺の場合は、だが。
「俺たちも学校行くぜ」
「……学校があるのか?」
「あぁ」
そう答えた風丸は、何故だか突然足を水から上げて、ぺたぺたと歩き出した。
「学校ではさ、ニンゲンって怖いものだって教えられてたんだ」
俺も、妖怪ってもっと怖いものだと思っていた。
そもそも信じてすらいなかったが。
「でもさ、なんていうか、他のニンゲン、知らないからあれだけど。豪炎寺は、ちっとも怖くないな!」
振り向いて、そう笑った風丸に、あぁ、と小さく答える。
俺も、まさか河童なんてものが、こんなに綺麗だなんてちっとも思わなかった。
「俺さ、世界を見てみたいんだ」
「世界?」
「あぁ、こんなちっぽけな池じゃなくてさ」
気付いたら夕日は沈んでいた。
暗闇の中、彼の表情は見えないが、声からそれが切実なものだとわかる。
「出ればいいじゃないか」
「出来ないんだ。俺たちは、水がないと、生きていけない」
風丸が言うには、目安として一時間ぐらい、外に出ていると死んでしまう、らしい。
死んでしまうといっても、どうなるかは詳しくは知らないのだという。
呼吸が止まるのか、干からびるのか、はたまた消えてしまうのか。
「……ま、それも学校で習ったことだし、もしかしたら嘘かもしれないけどな」
「……そうか」
「なぁ、豪炎寺。世界ってどれぐらい広いんだ?」
「そうだな……想像するのも簡単じゃないぐらいには、広いと思うぞ」
そう言えば、そっか、と何処か寂しげに言うものだから、つい励ますように声をかけてしまった。
「……なんだったら、俺が教えてやるよ」
「え?」
顔は見えない、それなのに、彼が驚いている様子が手に取るように分かる気がした。
「俺もまだ、知らないことたくさんあるけど。それもお前と一緒に知っていけたらいいと思う」
「豪炎寺、」
どうしてだろうか、初めて会ったばかりのこいつに妙な親近感を覚えているのは。
親近感?いや、もしかしたら、愛しさなのかもしれない。
風丸は何処か、気づいたら消えてしまいそうな、そんな儚さを持っていた。
「有り難うな。豪炎寺」
「そんな改まって言われるようなことでもないが」
「ははっ、そうだな」
そう言うと同時に、風丸が立ち上がったのが見てとれた。
それに合わせて俺も立ち上がれば、右手の袋がかさりと音をたてる。
それにより俺は何故外出をしたのかふと思い出した。
まずいな。折角料理作ろうと思っていたのに、そろそろ夕飯の時間かもしれない。
「悪い、風丸、もう帰らなきゃ」
「あぁ、俺もだ」
「明日はもう少し早い時間に来る」
「わかった。じゃあ待ってるな」
じゃあなと声がかけられ、それに同じように返すと、風丸は身を翻してばちゃりと池に飛び込んだ。
しばらくその影を眺めていると、数分もしないうちに彼の影は見えなくなった。
薄暗い池に目を凝らすと、水草の合間に何かの影が見えた、気がした。
多分、魚かなにかだろう。
その事はさほど気にせずにさて帰ろうと後ろを向いて、もう一つ忘れていたことを思い出す。
そういえば、ここ崖だった。
2010*10*10