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たた、と崖を駆け降りる。

昨日のような無茶はせず、昨日帰り際見つけた脇の細道から。

池に目をやれば、すぐ、風丸の姿は見てとれた。

驚かそうと思い極力足音を立てずに彼に近づく。

あと、五歩といったところだったろうか。

突如、風丸はくるりと振り向いた。

予想外のその出来事に、驚かすはずだった俺の方が驚いてしまう。

河童って耳がいいのだろうか、そんなことも考えたが、何故だか風丸までも驚いた顔をしていたので、その考えは打ち消した。

「……豪炎寺」

かとおもえば一転、柔らかな微笑みを浮かべる。

すっくと立ち上がって挨拶もろくにせず、俺の右手の袋をかさりと奪い去る。

それを手にしてから、もらって、いいか?そう訊いてくる彼は、おそらくダメだと言ってももらうつもりでいるのだろう。

頷けば袋の中のそれ……きゅうりに手を伸ばした。

美味しそうにきゅうりを咀嚼する姿を眺めながら、疑問を投げ掛ける。

「さっき、何で振り返ったんだ?」

「ん?あぁ、きゅうりの匂いが、したから」

もごもごと口を動かしながらそう答える風丸。

口の中に物が入っているときは話さない方がいいのだと教えてやったほうが良いだろうか。

そうも思ったが、別に俺としては構わないし、何より話し掛けたのは、俺だ。

というか、いいのは耳じゃなくて鼻だったのか。

ついでに言えば。

それもきゅうり限定、だと思われる。

「……そんなにきゅうり好きなのか?」

「好きだぜ?まあ食べなくても平気は平気だけど」

「それは、食事しなくても、ってことか?」

「あぁ……あ、でもきゅうりなきゃ死ぬ、かも」

それは普通の意味じゃなくて、なきゃ死ぬ程度に好き、ということなのだろう。

なにをどうしたらそんなにきゅうりが好きになれるんだ。

「あ、そういえば」

ふと思い出して肩掛けの鞄から本を取り出す。

昨日の約束――世界を教える、というものの為に持ってきたものだ。

どういうのがいいか小一時間悩んだ末に、取り敢えず世界地図が載っているものを持ってきた。

「ん、なにこれ」

そう言い覗き込んで来ながら、もう一本のきゅうりをくわえる風丸。

ちなみに、一応きゅうりは四本持ってきた。

多すぎるかとも思ったが、この分だとすぐに食べきってしまいそうだ。

「持ち帰ってもいいぞ、それ」

「いや、今食べないと、農薬嫌いのやつがいるから」

「……分かるもんなのか?」

「匂いで一発だ。で、」

それは?と、風丸に言われ、話を戻す。

「これは世界地図」

「……俺たちのいるところは?」

そう問われ、世界地図の日本の東京辺りを指差す。

胸元のポケットに入っていたボールペンを出し、適当な場所に点をした。

「……多分、この辺」

「小さいな」

「そう、だな」

風丸がぱらり、とページを捲る。

数ページ先、出てきたのは宇宙から見た、地球。

それを見た風丸は、少しだけ瞠目した。

「……これは?」

「世界がある、星。まぁ俺たちもこの上にいる、な」

「世界より、広いところがあるのか」

呟くようにそう洩らした後、ホシ、ってなんだ?と訊いてくる。

星も知らないことに驚くが、水の中に住んでいるのだから知らなくて当然かもしれない。

「空にうかんでいるんだ」

俺が上を見上げながらそう言うと、彼も同じように空を見上げた。

小さく息を飲み込む音がする。

とさりという小さな音に彼を見れば、いたはずの場所にいない。

少し視線をずらせば、寝転がった風丸の姿。

一つにくくった蒼い髪は不規則に散らばり、その顔にはいつものように微笑みが讃えられている。

淡い日差しに包まれた彼の姿は、とても柔らかで、何処か神聖な雰囲気さえ漂わせていた。

「……綺麗だ」

「……あぁ」

空を真正面から見てそう言う風丸こそ、俺には酷く綺麗なものに思えた。

風丸は上体を起こし、俺のパンツの裾を引く。

「な、豪炎寺も」

気持ちいいぜ、と、自分の横を一瞥する彼に誘われるがまま、多少躊躇しながらも俺も彼の横に寝転んだ。

服が汚れたのは、この穏やかな時間の代償だと思い、目を瞑ることにした。

ざわりと風が吹く。

その空気が頬を撫でる感覚は確かに、気持ちのいいものだと言えた。

「ところで星はどこだ?」

「あ……今は見えないんじゃないか?夜にならないと」

「……暗くなってからじゃ外出れないんだ」

残念そうに呟く彼。

夜は知っている、と。

星は知らなくて、夜は知っている。

宇宙は知らなくて、世界は知っている。

いまいち風丸の知識の広さを理解できないが、なんとなく壮大であればあるほど知らないのだろうとは思う。

「昨日帰ったの、暗くなってからじゃなかったか?」

「はは、すごく怒られたぜ」

心配してくれるのは、嬉しいんだけど、と苦笑してはいるが、きっと彼にとってはそれも幸せなのだろう。

俺が家族について訊ねようとした、そのときだった。

「お兄ちゃん?」

頭上から聞こえた声に首を傾げる。

「……夕香?」

その声は紛れもなく妹のもので。

俺を探しているのだろう声に立ち上がった。

「誰だ?」

「俺の妹だ」

なるほど、と頷いて、風丸も立ち上がる。

「帰るのか?」

「一応。まだ話してたかったけど。……明日は、来るか?」

「明日……は、部活があるからな。明後日だ」

「部活?」

「学校でサッカーするんだ」

わかったと言い、ひらりと右手を振って風丸は池に飛び込んだ。

その直後、再び聞こえてきた妹の声。

「あ、おにーちゃーん!!」

「悪い、今上がる」

崖を登れば、不思議そうに見上げられた。

「何してたの?こんなところで」

「……河童と、話していた」

そう言えば、夕香は一瞬固まって。

そのすぐあと笑い出した。

「ははは、お兄ちゃんがそういう冗談言うの珍しいね」

くすくすと笑いの余韻を漂わせる妹。

……本当なんだけどな。

まあ信じられないのも無理はないというか、逆の立場だったら俺も笑い飛ばしていただろう。

「……なにか、用だったのか?」

「お昼一緒に作ろうと思って」

昨日の俺の手料理を見て、どうやら自分もやりたいと思ったようだ。

風丸との話を中断せざるを得なかったのは残念だが、可愛い妹の頼みとあれば断るわけにもいかず。

明後日ちゃんとお詫びをしようと心に決めて、帰路を進んだ。











2010*11*22
 

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