メイン6
□16
1ページ/1ページ
さようならを伝えるために、彼がここに来たのだという事は、初めからわかっていた。
笑って見送ろうという当初の予定はすっかり狂って、僕の目からはひたすらに涙が溢れてくるばかりだ。
風丸さんの事は、嫌いになんてなれない。
たとえ、人間になったとしても。
少しの嫌悪も湧き上がってこないことに、むしろ驚いた。
このとき、僕は初めて気付いてしまったのだ。
どんな姿だろうと、風丸さんは風丸さんで。
僕が今まで勝手に嫌ってきた人間だって、悪いやつばかりじゃないのだと。
気づきたくなかった。
風丸さんが人間になることで、嫌いになるとまではいかなくても、少しくらい、忘れる手助けになると、思ったのに。
しゃくりあげるのをやめないのは、そうする事で、風丸さんの気が変わるんじゃないかと、少しだけ期待しているから。
悪いのは、風丸さんだ。
今までいっぱい優しくしてくれたから、優しすぎたから、その優しさに、甘えたくなってしまう。
池の周りにただ座ると、自然の香りが僕を包んだ。
今まで、全く気がつかなかったそれは、何か寂しさを感じさせた。
風丸さんは、いつもここに座って、この香りを嗅いでいたのだろうか。
この空気に、何を思ったのだろう。
ずっと、そんな事を考えては、ちり、と胸を痛ませた。
こんなにも、風丸さんについて、知らなかったなんて。
今までの自分の世界は、いったいなんだったんだろう。
そう思うと、胸が苦しくて。
いっそ死んでしまえたらと、何度か思った。
簡単な話だ。
ずっと、水に浸からなければいい。
次第に乾いていく肌は、次第に強烈な痛みを持って僕を襲った。
結局僕は、引き裂かれるような痛みに耐えきれず、水に飛び込んだ。
「風丸さんは、もう、ずっと外に居ても、平気なんですよね」
「……え?」
「痛いん、ですよ。こっちの空気は、僕たちにとって」
見た目は、変わらないのに。
住む世界は、相入れない。
いや、本当だったら、お互い干渉してはいけないものなのだ。
(今なら、)
言える気がする。
最後の、言葉を。
「風丸さん」
「、」
「さようなら。幸せになって、ください。……幸せにならなきゃ、おこります」
「みや、さか」
「それから、」
少しだけ、息を吸い込む。
水中とは別の草木の匂いを、肺いっぱいに、溜めた。
「だいすき、です」
この香りを嗅ぐのも、きっと今日が最後だ。
忘れない、忘れてはいけない。
この記憶だけは、絶対に。
「宮坂、最後に、」
手、繋いでいいか?
その願いに頷いて、左手を差し出す。
風丸さんの熱い両手が、それを包む。
「……ありがとう」
そう呟いた風丸さんの瞳には、涙が浮かんでいたけれど。
そこに迷いはなかった。
2011*04*22