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□悪戯
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「ぅ……ん」
目が覚めた。
ぼんやりしたまま視線を時計に投げる。
八時。僕にしては早すぎる起床時間だ。
なんでこんな早起きなんだろう。
ああそうだ、ハヤトが、来ているから。
自問自答をして、思い至った答え。
そのハヤトは、というと、僕の隣にいたはずなのだけれど今はいない。
小さくシャワーの音が聞こえているから、シャワーを浴びているんだろう。
そういえば。昨晩は身体を重ねた後、すぐに寝てしまっていたんだっけ。
シャワー浴びてからにすればと言ったのに、疲れ切ってしまっていたのだろう。
結局そのまま寝てしまった。
ダメだなあ、と、ぼんやり思う。
ハヤトはまだ少年と言ってもいい歳で、そんな彼に無理をさせているのって、大人としてどうなんだろう。
まあ、彼は対等でいたいと思っているらしいからこんなこと考えるのも、あれなんだけれど。
ごろりと寝返りをうつ。
真っ白なシーツの上に、一本の細い糸。
深い青色のそれは、僕のものではなく。
別段変わった髪質なわけでもないのだけれど、ハヤトのものだというだけで、綺麗だなあと思える僕は、もしかしなくても彼のことが大好きなのだろう。
でも、だけど、だからこそ。
「、マツバ!!」
思考の海に体を委ねていた所を、愛しい彼の叫び声で現実に引き戻される。
怒りを含んだ声色に戸惑いつつ彼に視線を寄越せば、彼は仏頂面でぺたぺたとこちらに歩み寄ってきた。
彼が歩いた所の畳が微かに変色しているのを見る限り、彼らしくもないことだが、水分を除き切っていないのだろう。
よく見れば、普段着である群青の和服もきちんとは着られていないようだ。
唖然としている間にハヤトはいよいよ布団の上まで寄ってきた。
それから、どさり、僕のお腹の上に座り込む様に。
「……あの、ハヤト?まだ朝なんだけど、どうしたんだい、今日は嫌に積極的」
「あ?」
「……うん、ごめん」
もちろん冗談である軽口は、低いハヤトの声に遮られた。
たった母音ひとつなのに、いや、たったひとつの音だから、不機嫌さがぴり、と、伝わってくる。
「これ、どういうつもりだ」
問い詰める様な口調でそう吐き捨てて、ハヤトは自分の首元を指差す。
白い肌が目に眩しい……じゃなくて。
よく見ると、彼の指差した先にはうっすらと赤い鬱血。
何、なんて、考えるまでもない。
だってそれは、僕が数時間前につけたもの、所謂、キスマーク。
彼の普段着は和服であるし、僕みたいにずうっと首元を隠しているだなんてことももちろんないから、それは隠れずに外の空気に晒されている。
ハヤトはそれを怒っているのだろう。
まあ、もちろん、わざとだけれど。
「いいじゃないかそれくらい」
「いいわけあるか!誰かに見られたらどうするんだよ」
「誰かって?」
「挑戦者の奴らとか、ツバサたちとかっ!」
問えばそのくらいもわからないのかとでも言うように、非常に苛立ちを含んだ言葉をぶつけられる。
それを心地いいとすら思ってしまう僕はなんなんだろう。Mなのかもしれない。
思わず上がりそうになる口角を必死で抑える。
ここで笑ったりなどしたら、それこそハヤトにぶん殴られでもしそうな勢いだ。
Mかもしれない、というかMっ気はある方だけど残念ながらその境地まではまだ至っていないのでね。
なにが残念なんだよ、と、心の中でセルフ突っ込みをして、改めてハヤトを見る。
僕を見下ろして来る瞳はただただ冷たかった。
……うーん、なんかこう。
もうちょっと、涙目でーとか、頬を染めてーみたいなのを期待していた自分に初めて気付いた。
ハヤトは恋人だけれど女の子ではないからなあ、その辺は履き違えてはいけないところだ。
しかしまあ、こんだけ冷たい目で見られることもなかなかないような気がするので正直これでも少しは興奮する。
さっきからの自分の性癖の酷さに目眩がするなあ。ついでにムラムラもしているけれど、どうしよう。
このまま僕に跨っているハヤトを押し倒すことは容易だ。
ハヤトだって鍛えている方だけれど、僕も負けず劣らず鍛えているし、何より元の体格が違うので。
「……マツバ?」
暫く口を開かなかった僕を訝しむように、ハヤトが僕の名前を呼んだ。
なんの話だったっけ、と一瞬頭の隅で考えて、返答。
「挑戦者なんて、君の首元見る余裕はないだろうし。ツバサくんたちは……そうだな、まあ、大丈夫なんじゃないかな」
「ふざけんなよ。これ、ツバサとかが見て『虫刺されですかー』とか訊いてきたらどうするんだ」
「あー……」
大真面目に言っているであろうハヤトには悪いけど、キスマークを見て虫刺され、なんて、ハヤトが思っているほど彼らはピュアじゃない。
ていうか、直接カミングアウトはしていないものの、ハヤトのジムの二人はとうに僕らの関係に気づいていると思う。
ハヤトのことが(僕とは違う意味で、だろうけど)大好きな二人はそれをあまり快く思っていないらしく、睨まれたりするから困りものだ。
……うーん、あの二人、デリカシーはあるから、キスマーク見てもハヤトには何も言わないだろうけど、僕の方に直接抗議されるかもしれないな。
これ以上彼らに嫌われるのはあまり好ましい事態ではない。
なんというか、好きな子の家族に嫌われるようなものだからね。出禁にされたら大変だ。
「……ごめん」
「え、」
「ちょっとした、悪戯のつもりだったんだけど、やりすぎたかもね」
だから、ごめん。
そう言うと、僕がこんなに素直に謝ると思っていなかったのだろう。
ハヤトは拍子抜けしたような微妙な顔をして、そのまま呆然としていた。
僕の身体の上に跨ったまま。
「……ハヤト、こっちへおいでよ」
ぽんぽん、と、軽く自分の横を叩く。
「……なんで」
不機嫌そうな声、警戒しているのだろう。
「大丈夫、何もしないよ。ハヤト、まだ身体拭ききっていないだろう?風邪を引いてしまうよ」
「……」
無言ではあったものの、一応、それで納得はしたのだろう。
小さく頷くと、彼はもぞもぞと僕の布団に潜り込んできた。
「……どうしてくれるんだよ、これ」
どうやらまだ文句は言いたいらしい。
僕に背を向けたハヤトから不機嫌な声が飛んでくる。
「んー……どうしようね。僕みたいにマフラーすればいいんじゃないかい?冬なんだし、そんなに変じゃないと思うけど」
「……」
その返答がお気に召さなかったのかなんなのか、むう、と小さく唸る声だけが聞こえた。
どうしたものか。僕は駆け引きは好きだけれど、恋人間でそれをやるのは純粋にまどろっこしいと思う。
「ハヤト」
仕様がないので、僕はハヤトの名前を呼んで、後ろから抱きしめた。
細い体躯はすんなりと僕の腕に収まる。
湯冷めしているのか普段よりも幾分か低い体温。手を握れば、びくりと彼の身体が震えた。愛おしい。
すべてを、自分のものにしたいと思う。
縛りつけて、彼の自由を奪うのは嫌だと、飛び回る彼を眺めていたいと思う反面、がんじがらめに縛り付けて、その頭から爪先まで、髪の毛一本すら、自分のものにしてしまいたいという衝動が身を焦がす。
ハヤトの全てが愛おしいと思う。堪らなく。
でも、だけど、だからこそ……今はまだ、適度な距離は置いておくべきなのだ。
溺れて、のめり込んで、その果てにあった絶望を、僕は知っているのだから。
(首元の痕は零れた欲望の証)
2012*01*12