メイン4
□8
1ページ/1ページ
俺は、その場から動く事が出来なかった。
言い様のない倦怠感に襲われていたことも一つの理由だが、何故だか、誰かが来るような、待っていなくてはいけないようなそんな気がしていた。
ざぱりと水音がする。
そちらに視線を向ければ、少々粗めに上がってくる宮坂が見えた。
不思議と、驚きはない。
むしろ、やっぱりな、そう思っている俺がいる。
俺は身体を起こし彼を見た。
向こうも俺を睨み付けるようにしている。
俺の前まで来ると、彼は立ち止まり、暫しの間睨み合いが続く。
絡み合う視線。
外したのは宮坂だった。
俺の眼光に戦いた訳ではないようで、視線を外したらそのまま、俺の隣にどっかと腰を下ろした。
「……貴方は、」
目付きこそ、射るように厳しいものの、その声は多少震えていた。
「風丸さんが、好きなんですか?」
予測できていた問い。
俺は一つ深呼吸をする。
もう、後には引けない。
迷いは既に捨てている。
「……あぁ」
きっぱりと、肯定の言葉を言い放つ。
しかし、思ったよりも固かった自分の声に、らしくもなく緊張していることを知る。
夕暮れ時の冷たい風が吹き抜ける。
舞い上がる髪を押さえながら、宮坂は言った。
「風丸さんは、人間じゃありません。……貴方と同じ時間を生きることは出来ない。それでも、ですか?」
「……同じ、時間?」
予期せぬ質問に、宮坂を見る。
彼は少し驚いた顔をしたあと、苦笑した。
「聞いてないんですね。……はは、風丸さんらしいや」
「……どういう、」
「分かりました。僕が代わりに話しておきますね」
宮坂は夕日を見ながら語り始めた。
人間と、彼ら河童の違いを。
「今の僕たちと人間には、そんなに違いがないように見えます」
風丸たちは、進化して今の形……つまり、人間に限りなく近い形になったのだという。
やはり、生きていく中で、特異な見た目では不便であったのだろう。
元々の河童は、文献でよく見るようなものだったらしい。
「まぁ、僕たちもあの姿になろうと思えばなれるんですけど。相当変な趣味の奴じゃなきゃ、緑色になろうなんて思いませんね」
今の河童は、変身が出来るようだ。
しかし、今時人間以外の姿を常にしている河童はそうそういないそうである。
目立つ上に見目麗しくない、というのが宮坂の言い分。
河童も美的感覚は人間と大差ないようだ。
「それから……そう、本題ですけど。まぁ、言ってしまえば時間の流れ方ですね」
河童は人間に比べとかく成長が遅いのだと宮坂は言った。
一日は一日だし、一年は一年として人間と同じように過ごすが、その間の成長の度合いが違うのだと。
いや、もしかしたら一日の長さの感じ方も全く違うのかも分からないが、それは確かめようがないので置いておくことにする。
「僕、見た目には貴方と大差ないかも知れませんけど、これでも百何十年か生きてるんですよ」
「……風丸も、ってことだよな」
「もちろん。風丸さんだと……よくは分かりませんけど、僕より十年くらいは長いのかな」
風丸と宮坂の間に十年の差があるようには、到底見えないが、しかし、河童の世界ではそんなもの、なのだろう。
宮坂は俺をじっと見据えた。
すがるようなその視線に、胸がざわつく。
「つまり、です。貴方がどんなに年を取っても、風丸さんの外見の年齢はそんなに変わりません」
「……そういうことになるだろうな」
「……そして、貴方は、すぐに死んでしまう。風丸さんより、ずっと早く」
「、」
その言葉に、冷水を浴びせられたような気分になった。
仮に、俺が八十まで生きるとして。
あと、六十五年。
俺からしたら随分先のことに思えるが、彼らにとっては、すぐ、なのだ。
指先から、身体が冷えていくようだった。
俺は、いい。
この先、風丸とずっと一緒にいられるなら、それは最高の幸せだろう。
だけど、風丸はどうなる。
俺が死んでも、風丸はまだ生き続けるのだ、それも、何百年も。
俺のことを、忘れてくれるというのならいいけれど。
だけど。
俺の様子に気付いたのか、宮坂がぽつりと、分かりましたか、と呟いた。
「風丸さんは……悔しいけど……本当に貴方が好きみたいです。今はいいかもしれない。だけど、後にきっと、風丸さんは辛くなるに決まってるんです」
それは、宮坂の身勝手な思い込みなんかではないと分かった。
むしろ、宮坂は風丸を本当に好きだからこそ、真剣にその様なことまで考えているのだ。
(――俺は、)
風丸が好きだ。
その想いは、揺らがない。
本気で彼が好きなのだと、そう言える。
だけど、俺の想いは、風丸を傷つけることになるかもしれない。
いや、きっと傷付けるのだろう。
そして、愛し合う時間が長くなればなるほど、彼が最終的に受ける傷は、痛みは、大きくなる。
「……少し、考えさせてくれないか」
「豪炎寺さんっ!!」
宮坂が、信じられないという風に俺を呼ぶ。
俺がすぐに風丸から離れる決意をするとでも思っていたのだろう。
俺も、出来るならそうしてやりたい。
けれども、俺は本気で好きになったやつに今後一度も会わないなんて覚悟が出来るほど、まだ大人ではなかった。
2011*01*08