宝物・捧げ物
□2月の想いはショコラにのせて
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手ぶらで階段を上っていった時とは違い。
私は片手に牛乳の入った容器を、もう片方には食材が一杯につまった大きな買い物袋を持ちながら一歩ずつで階段を下りていく。
そして、そんな私の後ろを妻がランプを持ってちょこちょこと付いて歩いてきていた。
お互いに一歩階段を下りるたびに、彼女の持つランプの明かりが二人の影を揺らす。
「あなたに会えて本当に良かったわっ。
でなければ、一人でこの量の野菜とか牛乳を持って階段を永遠下りる羽目になったもの。」
とは、嬉々とした彼女の声。
確かに彼女が市場から買ってきたこれらの荷物は、女性が一人で運ぶには中々の重さがあった。
今日はたまたま入り口の側で私と出会ったから良かったようなものの、そうでなかったら一体どうするつもりだったのだろう。
「まったく無茶な買い方をする。
どうするんだ、もし途中で荷物ごと階段から転げ落ちたりしたら。」
下手をしたら怪我ではすまないぞ。
「しないわよ、そんなこと。
まあ、落とし穴にうっかり牛乳瓶を落っことす…位はあるかもしれないけれど。
だってね。すっごく新鮮な野菜が普段の半額近い値段で売られていたのよ!!
そしたら突然、脳内でスイッチが入っちゃって。」
どうやら、一応彼女も自身でこの重さの荷物を持って階段を下りることがいかに困難か予想はしているようだな。
それにしたって、オペラ座の女たちのようにドレスや宝石に夢中になるならまだしも。
彼女はそういった類には目もくれず、根菜やらベーコンの塊やらで同じような状態になるのだから…何と色気に欠ける話だろうか。
一家の女主として家計を支えるのは大いにけっこうなことだが。
私は己の妻をそう所帯染みた人間にするほど、経済的に苦労をかけているのか。
もちろん、そんなはずはない。
我が家には月に二万フラン…そこらの貴族にも勝るとも劣らないほどの収入があるのだから。
「たかが玉葱一つの値段を気にかけるほど、我が家の家計は逼迫しているのかね?…………誰かいる。」
と、更に続けて何事か言おうとしたが。
暗闇に満ちる不穏な気配に、私はすっと語尾を低めた。
そして、すぐさま自身の息を潜め、じっと耳を澄ます。
オペラ座中に息づく、あらゆる音を拾おうと。
壁の向こうから時折聞こえてくる水の音。
ボイラー室から響く振動。
私たちの足音。
ランプの作り出す影の中から揺らめくように聞こえてくる様々な音。
その中において私は終に、ほんのわずか、恐らく私でなければ捉えることのできないようなささやかな第三者の…小さな息遣いを捉えたのだった。
そんな呼吸の音に混じって、たまに侵入者の声も聞こえてくる。
時折、独り言を呟くその声に………私は腹の底から大きなため息を吐いた。
緊張感が溶けたのと同時に、ある種の情けなさがむくむくとわきあがり。
両手に持った荷物も突然ずしりと重くなったような気がする。
「…エリック、どうしたの。侵入者はいた?」
後ろから呼びかける、事態を理解していない彼女に一旦手荷物を預けると。
返事をする代わりに、私はずかずかと大股で歩みを進め、階段の先にある切り穴を回した。