あっち向いてほい
※単発ヒロイン
「ねぇ、ねぇ!エリック!」
リビングでソファに体を預け、楽譜を片手にくつろいでいると、ひょいと楽譜が視界から姿を消し、代わりに勝ち誇った様な笑みを浮かべた彼女が姿を現した。
「...なんだ、私は忙しい」
「どこが忙しいのよ!優雅に足なんか組んじゃって、思いっきりブレイクタイムじゃない」
わざとらしくプウッと頬を膨らました彼女。
その仕草は、暇だからかまって欲しい時に出るものの一つだと、最近わかるようになってきた。
異国の衣服をまとい、私の目の前に彼女が現れたのはいつだったか。
見たこともない機械を鞄の中から取り出しては、「私は未来から来たの!」と熱心に語っていたのが懐かしい。
「ねぇ、聞いてます?エリックさーん??」
「だから何だ」
「あっち向いて ほい、しません??」
手に持った楽譜を近くのテーブルに置くと、飛び乗るように私の隣に彼女は座った。
「何なんだ、その変な名前は」
「そのまんまですよ♪良いですかー、あっちむいてー...」
そう言うと、彼女は右手の人差し指を立てると私の顔の前に突き出す。
一瞬、つつかれるのでは無いかと身構えたがそんなことは無かった。
「ほいっ!!!」
力強く間抜けな言葉を発しながら、彼女の人差し指は素早く下を指差した。
「わかりました?ほいっ!っていう言葉の時に、指を差されている方は上下左右どこかを向くんです。で、指と同じ方を向いていたら負け!簡単でしょ♪」
ニコッと笑った彼女がなんとも可愛らしい。
「あ、そうそう。どっちが指の方をやるかは、じゃんけんで勝った方にしましょう!じゃんけんはこの間教えましたよね?」
「ん、ああ...」
楽しそうに話す彼女に見惚れていた訳ではないが、今の反応は流石に格好が悪い。
現に彼女は珍しいものでも見たかのように、こちらを見つめてるではないか。
しっかりしろ自分。
何を彼女に流されているだ。
「よ、よし、わかった。その勝負、受けようではないか」
「お!急にノリノリになりましたねぇ。負けませんよー」
別にこれから拳で殴り合いをする訳では無いのに、気合いを入れているのか、彼女は七分丈のシャツを捲った。
「いきますよ!じゃんけん...ぽい!!」
彼女が出したのは拳を握りしめたグー。
私が出したのはパーだ!
よし、私が勝ったということは人差し指を突き付けるのは私の方。
「あっち向いて...ほいっ!!」
次の瞬間には、鋭い目付きでこちらを見ている彼女の前に私は人差し指を突き出し、間抜けな言葉と共に手首を捻った!
「まっ、負けたーーーーー!!!!」
右を向いた彼女と同じ方向を指差すのは私の人差し指。
「ふっ...私の勝ちだな」
「も、もももももう一回っ!!悔しい!悔しい!!」
子供のように足をバタバタさせ、相当悔しかったのか八つ当たりのように私の腕をバシバシと叩く彼女。
地味に痛い。
お前はいくつだ?
子供じゃあるまいし!
「わ、わかった。もう一回だけだぞ」
「次こそ絶対勝ちますから!!!」
再び気合いを入れるために、腕捲りをする────仕草をする彼女。
正直、何度やっても私は彼女に勝つ自信があった。
そもそもこのような一見運に任せたような遊びは、意外にその者の実力に左右される。
ましてや相手の動作を観察、予測して行動に移すものなど、動体視力が優れていれば運など関係ないのだ。
だから私には彼女の動きをとらえることなど、赤子の手を捻るように簡単なのだ。
彼女には申し訳ないが、また勝たせて貰おう。
「それじゃぁっ!!じゃんけん────」
あの指の動き。
彼女はまたグーを出そうとしている。
始めにグーを出そうとする癖に本人は気づいていないらしい。
なら私はパーを出すまでだ。
「ぽいっ!!」
やはり彼女が出したのはグー。
よし、観察通りの答えだ。
当然私はパーを出しているのだから、人差し指の権限は私のもの。
「あっち向いて────っ」
まだ2回しかこの遊びをしていないが、やはり次の掛け声はなんとも間抜けな言葉だと私は思う。
さて、今度は彼女はどこを向くのか。
普段からは想像出来ないほど真剣な眼差しの彼女を見つめるが、おかしい。
上下左右どちらにも彼女は動かないのだ。
いや、これは。まさかっ!?
─────っ前!?
「ふぉいっ!!!!!!!」
可愛らしいく間抜けな声が聞こえたと同時に、彼女が急に身を乗り出し、私の唇に暖かいものが触れた。
突き出していた腕は彼女の胸に優しく抱かれ、今目の前には彼女の顔がある。
それもゼロ距離だ。
やっと状況が理解できた。
これは────キス。
しばらくして離れた彼女の顔は熟したリンゴのように真っ赤になっている。
いや、もしかしたら私の顔もそうなのかもしれない。
顔が熱い。
「わ、私の勝ちですっ!正解は...ま、ままま前です!」
「い、意味がわからんっ!!」
その日、しばらく二人は顔を合わせられなかった。