宝物

□人は誰でも
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『あなた』

「ん」




春も近いというのに

夜、古びた部屋の隙間から入ってくる風はあまりにも冷たく、同じ布団に入っている私たちの身体を芯から冷やしていく




「久し振りだなァ お前にあなたって呼ばれるの」

『ふふ 寒くはないですか』

「あァ 大丈夫だ」





そう言って彼は、量とその輝きだけは健在の銀髪をふわりと揺らし、ゆっくりと眼を細めて私に微笑む



『…そうですか』



(ああ、目尻の皺が目立ってきましたね)


そう告げようと思ったのは一瞬で、幸せそうに眼を細める彼に見とれてしまい何も言えなくなってしまった





『…あなた』



さして小さくもない声で彼の名を呼ぶ









初めて手を繋いだ日のことを覚えておられますか



初めて街を出歩いた日のことを

初めて口付けを交した日のことを


初めて私に涙をみせた日のことを

初めて共に朝を迎えた日のことを





『(覚えておられますか)』









少しづつ

確実に人は老いていく





「…なあ」

『はい』



「さっき俺のこと、呼んだ?」








あなたがどんなに強い人だとしても

全ての人に平等に流れゆく時間には、逆らうことが出来ないのですね





『…いいえ 呼んでおりませんよ』




少しでも気に病ませないように

私は微笑み、嘘をつく












昔のことを訊けなかったのは


あなたが今までのことを忘れているんじゃないかって、怖かったから

あなたがこれからのことを忘れていくんじゃないかって、怖かったから





「なあ、バァさん」

『なんですか、おじいさん』




「初めて手を繋いだ日のことを覚えてるか」
















少しづつ

確実に人は老いていく






あなたも


私も


















「忘れる訳ないでしょう」



そう答えられなくて
寝たふりをした私を
お許しください、














夜が明け

朝日が窓から差し込む



眩しさにそっと眼を開き

朝日によってさらに煌めいている目の前の眠る銀色にゆっくりと触れる











いつ別れがくるかだなんて

そんなの誰にも分からないから













(私たちは今日という日を)(足掻きながらも必死に必死に生きていくのです)

2009/03/01 thanks10000!



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