*短編*

□魔界は今日も平和です。
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瞳を閉じる事で鋭くなった聴覚に届いたのは、鳥の声と葉擦れの音。
風は柔らかくどこかの誰かの談笑の欠片を運び、清麿はその楽しげな声にふっと口元を緩めた。

(悪くないな)

顔も名前も知らない誰か―…声の感じからすると、まだ幼いであろう少女の笑い声。それに重なるように聞こえた、別の少女の笑い声。
まるきり他人の幸福そうな笑い声が、暖かい春の陽射しの下で響いている。
その事実に、その平和に。清麿は、身体中が幸福で満たされるかのような錯覚を覚えていた。
ゆっくりと吸った空気は優しい緑の気配がして、口元の笑みは一層深いものになる。

「楽しそうだの」

記憶の中のそれよりずっと大人びた穏やかなその声に、清麿はゆっくりと瞳を開けた。
眩しさに目を細めた先で、彼の金髪が陽の光に透けて白く輝く。

「……ガッシュ」

唯一無二の存在に向けられた笑顔は蕩ける様に甘くて、常には見られないその無防備な笑顔に、ガッシュは瞬きすら忘れて立ち尽くしてしまった。




「ガッシュ?どーかしたか?」
「…っぬ、うぬ!いや、えーと…」

少し間があって急に慌て始めたガッシュに、清麿はジトリと目を細くした。
読んでいた本に栞を挟んで脇に置けば、これで殴る準備もバッチリだ。

「言ってみろ、俺に怒られそうな何をしでかした」
「ぬぁっ!?ど、どっからそのような話になったのだ!?」
「テメェの慌て具合見りゃ分かんだよ!大体お前会議はどうした!まさか抜けて…」
「いやいや会議は終わったのだ!ゼオンが前準備を整えておいてくれて…」

(ゼオンめ…!甘やかすなっつったのに…)

更に強く拳を握ると、ガッシュは「ひぃ!」とか何とか言いながら大袈裟に後ずさった。
…これは本格的に、何かやらかしたに違いない。

「ガッシュ。怒んねぇから言ってみろ」
「そんなの絶対嘘なのだ!!怒らないと言って、清麿が本当に怒らなかった試しはないではないか!!私はもう騙されぬぞ!!」
「じゃあ怒るから言ってみろ!」
「そんな事言われて言えるわけないではないかっ!!」
「いいから言えっつってんだろうが!!」
「何もしてないのに何を言えば良いのだ!!」
「嘘つくなよ!」
「嘘ではないぞ!私はまだ何もしてないであろう!!」
「…………まだ?」

という事は、今から何かするつもりだったわけか。
俺に怒られると分かっている、何かを。

「あ、いや、その、違うぞ清麿!お主は何か思い違いを…っ!」

慌てて否定を始めたガッシュの頭を両手で掴んで引き寄せると、その瞳を真っ向から見据える。

「吐け」
「…っ…だから、……」

俺から目を逸らそうと揺れる金色の瞳が気に入らなくて、ガツン!と頭突きついでに額をくっつける。
そこでふと、その体温が随分高い事に気付いた。

(…熱…?)

体感的には微熱程度だけれど、俺に怒られるって事は、午後は休みたいとかそういう事だろうか。
確かに午後はガッシュが昨日繰り越した書類業務があるにはあるけど、無理をして本格的に体調を崩したんじゃ元も子もないし、それに―…

「…ガッシュ。お前なぁ、あんまり俺を見くびるなよな」
「ぬ?」
「だから、そのくらいで俺が怒るわけないだろ?」

ガッシュに早く仕事のこなし方というものを覚えて欲しいから手を貸さずにやらせていただけで、あんなもの俺がやれば一時間もかからないで終わる、言うなれば雑務なのだ。
魔界の王たる大事な身体に鞭打ってまで頑張らせるような代物では決してない。

というかそもそも、具合が悪い事を言って怒ると思われてたなんて心外だ。
確かに仕事の面では鬼のように厳しくしている自覚はあるが、それだって『誰もが笑顔でいられる魔界にしよう』というガッシュとの約束を守りたかったからであって、ガッシュ個人の事は心の底から大好きだし、本当に大事に思ってるのに。

額を離して頬を撫でてやれば、また少し熱が上がったような気がする。
顔は赤いし、何だか目は潤んでるし。

「…本当に、良いのか?」
「いいに決まってるだろ?あんまり無理すんな…って、俺が無理させてたんだよな。…ごめんな、ガッシュ」
「ッ、清麿…!!」
「わっ!」

突然強く抱き締められて驚く。子供の頃はよくじゃれて足にくっついてきていたけれど、いつからかそういう事をパタリとしなくなっていたのに。

(…んっとに…でかくなったのは身体だけだな)

苦笑しながら熱い背中を擦ってやると、更に強く抱きすくめられた。

「…がーっしゅ、もういいだろ?俺付き合ってやるからさ、部屋と治癒室どっち行く?」
「ちっ、治癒室…!?いやその、お主が行きたいのなら構わぬが…っ!!」
「俺?……あー…まぁそうだな。そっちのがいいかもな」
「…っで、は…参ろう、かの…」

激しさを増した心音に、清麿は慌ててその腕の中から抜け出した。
これは一刻も早く、診てもらわなければ。

「行くぞ、ガッシュ!」
「…うぬ!!」



―――数分後、治癒室の一角から響いた悲鳴に、庭先の小鳥達が一斉に飛び立った。

後に残された薄桃色の柔らかな羽根だけが、彼らのその後を知っている。



『魔界は今日も平和です。』


「お、お主がいいと言ったのではないかっ!」
「何の話だこのヘンタイっ!!二度と俺に近付くなよ!?」
「そ、そんなの酷いのだ…」


 
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