頂き物・捧げ物

□アストライアーの天秤
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『アストライアーの天秤』



 荒々しく自室のドアを開けると、一息入れるでもなく上着を脱ぐでもなく、ガッシュはキングサイズのベッドへとダイブする。そのまま手足をバタバタと動かし「くぁーっ」だの「うぬーっ」だの謎の声を発していた。
 続いて部屋に戻ってきた清麿は、それを聞きながらも無関心を装い。自分はさっさと部屋着に着替え、子供の様にジタバタしたままのガッシュの横に静かに座る。

「服を脱げ、シワになるぞ。曲がりなりにも礼服だ、それは」
「お主は、どうしてそうなのだ! 私の気持ちが分からぬ訳でもあるまい!」
「……苛立ったところで、解決するものでもないだろう」

 ガッシュの憤りの理由を、清麿は理解していた。簡単な話だ、年若い王様のやり方では埒があかぬと、古参連中からいちゃもんを叩きつけられ。さらに、その『年若い王様』を補佐しているのが『元人間』とくれば、槍玉はいくらでも降ってくる。分かりきっていた問題だけに誰かに愚痴を零す事も出来ず、こうしてガッシュは自室でジタバタするしか出来ないでいたのだ。

「ぬぅ。清麿の言うことは、いちいちもっともなのだ」

 苛々しながらも、これ以上駄々をこねて清麿を怒らせるのは得策ではないと、ガッシュは素直に上着を脱ぎ清麿に渡す。受け取った清麿は変わりのルームウェアを渡し、いつの間にやら用意していた牛乳たっぷりのココアも差し出した。疲れた時には甘いもの、イライラした時にはカルシウムも必要だ。
 ありがとうと受け取り、ガッシュはグビグビと飲み干す。そうしていると、先程の癇癪もすーっと消えていくから不思議で仕方がない。清麿にはガッシュの事がお見通しというのだろうか。

「今週のおとめ座は、仕事運がアップと書いてあったのにのう」

 愚痴、という訳でもなく。半分は甘えで、残りの半分は拗ねた様な感じで、ガッシュは上目遣いで清麿を見た。予想通り「何を言っているんだ、お前は」と言いたげな清麿の顔があった。

「うぬ。母上殿が送ってくれた本に書いてあったのだ」

 人間界から不思議ゲートを通って、華からの差し入れが清麿に届く時がある。衣服や本など、可愛げの無い物ばかりだが、時々、ガッシュ宛にと愛用していたオモチャや絵本も梱包されている。どうやらカマキリジョー特集の雑誌に書かれていた星座占いの事をガッシュは言っているらしい。もっとも、今週が本当に『今週』の事かと聞けばかなり怪しいのだが、それは発したガッシュも聞いた清麿も納得済みだろう。

「いくら常日頃一緒にいるからと言って、俺の仕事運がお前に係わる……」
「そう言えば、おとめ座の乙女とは誰の事を言っておるのだ?」

 ポキンと話の腰を唐突に折って、ガッシュは清麿へ訊ねる。え? と清麿が口をパクパクさせているのに「お主が乙女とは考えにくいからのう」と何やらワケの分からない事をガッシュは言ってニヤニヤ笑っていた。
 こんな時のガッシュに逆らっても無駄な事を清麿は熟知している。馬鹿と叱ろうものなら、また駄々コネが再開されるだけだ。

「……おとめ座の神話は、大きく二つある」

 ガッシュの好奇心を満たす話が出来るのか清麿は不安だったが、彼の知りうる神話を語り始めた。

「先ずは、春の女神ペルセフォネだな」

 大神ゼウスと大地の女神デメテルの娘ペルセフォネは、ある日、冥府の神ハデスに誘拐される。最愛の娘が居なくなった事でデメテルは嘆き悲しみ、みるみるうちに大地は枯れ果て荒廃していった。このままでは地上が壊滅すると、ゼウスはハデスにペルセフォネを帰す様に命令する。その命令のままにペルセフォネはデメテルの元へと帰ってくるのだが、冥府の食事をとっていた彼女は、一年の内、三ヶ月だけ冥府で暮らさなければならない体になっていた。

「それで、ペルセフォネが冥府に居る季節が冬な訳だ。実際、おとめ座は冬に見れないからな」
「お主がペルセフォネなら、私はハデスなのだな。何とも心に痛い話なのだ」
「いやいや、誘拐されてないから」

 ニヤニヤから一変して、ガッシュはションボリとしている。清麿からすれば人間から魔物に変わった事も、人間界を捨てて魔界に来た事も、自分で考え決断した事なのだが、ガッシュの中には幾らかのわだかまりが残っているようだ。それこそ、馬鹿と叱りつけてやりたいところだが、コツンと軽くガッシュの頭を叩くだけにおさえて清麿は話を続ける。

「もう一つは、正義の女神アストライアーだ」

 昔、世界は平和で争いなどなかったのだが、段々と人間達は諍いを起こすようになり神々は人間を見捨てて天へと帰っていった。その中で、女神アストライアーだけは人間を信じ正義を説いていたのだが、とうとう人間達は戦争を始め、アストライアーの手に負えないところまできてしまった。

「それで、アストライアーも泣く泣く天へ帰り、おとめ座になったと云う訳だ」
「……これも悲しい話なのだ」
「まあ、神話だからなぁ」
「それで、清麿はどちらの女神だと思うのだ?」

 別に、どっちでも良い。寧ろ、気にしたこともない。と、本音を答えてしまうのは得策ではないだろう。

「……そうだな。俺は、アストライアーだと思う、かな?」
「ペルセフォネの方が理にかなっているのではないのか? 冬の間、見れないのであろう?」
「ああ。だが、アストライアーにも理にかなう事がある」
「何なのだ?」
「アストライアーが持っていた善悪を計る天秤が、隣の天秤座だからだ」

 その正義を示すように、アストライアーは天秤を持っていた。悪い魂は重く、善い魂は軽く計れる天秤。誰の目から見ても公正に、正しく計れる天秤。
 だからこそ、アストライアーは正義の女神だったのだろう。だからこそ、最後の最後まで人間界にいたのだろう。悪の重さに耐えきれるまで。その天秤が計りきれるまで。

「うぬ。私も、アストライアー説を信じてみるのだ」
「お、この話は気に入ったのか?」

 うーん、と小さく伸びをした後、パチンとガッシュは自分の頬を叩く。気合いが入ったと言いたげに、ガッシュの表情が引き締まる。ウダウダしていた態度とも、甘えゴロゴロしていた態度とも違う、凛として溌剌とした若き王の顔だ。

「お主がアストライアーなら、私は天秤になるのだ」

 昔のように。本当に悪い者を悪とみなし、弱い者や優しい者を助けていた昔のような世界が、今のガッシュにはないだろう。世界は善悪だけではない、勧善懲悪な世界など有りはしない。
 王となったガッシュの前には有象無象の輩が集まり、言葉は全面だけの意味ではなく裏の裏を駆け引きする世界だ。

 だけど、アストライアーさえ見放した世界を、ガッシュは正しい方向へと導こうとしている。
 それこそ、夢のような話かもしれない。神話よりも御伽噺と笑ってしまう事かもしれない。

 だけど。

「お前なら、なれるさ。天秤に」

 笑って、清麿はガッシュの頭を撫でる。同じようにガッシュも笑い返した。



 きっと、二人して願うのは夢のような現実の世界。
 アストライアーと天秤が望んだように、笑顔と幸せに満ちた世界。
 神話でも御伽噺でもない、現実の世界を。




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