頂き物・捧げ物

□Nothing but you
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 その透き通ったトパーズから逃れる方法は見つからなかった。俺を真直ぐに見つめてくる瞳が痛い。ずっと逃げていた。向き合うことから。それでも、もう逃げることは許されない。
 淡く色付いた唇が開かれないようにとどれだけ祈っただろう。それも叶わずに消えた。ほんの少しの躊躇いの後に綻ぶ花を、どこか遠くの出来事のように見ていた。


「清麿、好きだ」


 ああ、駄目だ。
 サヨナラを知りたくなくて逃げていたのに。
 カウントダウンが始まってしまった。


「……嘘、だろ」

「嘘じゃないのだ! 清麿を愛している。家族としてじゃなく、特別な意味で」


 強い視線、強い言葉、断罪のように響く。すべての時が止まった気がした。確かに鼓膜を震わせたはずの音も網膜に写る像も意味を持たない。心が理解することを拒んでいる。そのくせ無駄に働く頭は音を言葉として解析してしまった。

 すべてのものが壊れてしまって崩れていく。逃げ続けた先にあったのはただの絶望だった。

(どうして俺にそんなことを言うんだ?)
(どうして、終わらせるんだ)

 意味がわからない。いや、わかりたくない。理解してしまえば、もう戻れない。心地よかった今までが終わってしまう。取り戻さないといけないんだ。だから俺はまた逃げる。悪あがきする。子供みたいに駄々をこねる。


「駄目だ、ガッシュ。ちがう」

「清麿?」

「ちがうんだよ。おまえは、俺にそんなこと、言ったらいけない。好きじゃない。好きじゃあないんだよ、ガッシュ」


 必死に崩れ落ちたものを積み直そうとした。壊れてしまうのは嫌だ。なくしてしまうのも嫌だ。首を振る、言い募る、完全に否定する。
 それでも手の中から零れ落ちていく。

(俺はたぶん断頭台を前にしてあがく死刑囚のような顔をしていただろう。)

 言葉なんかにしないで、曖昧なまま誤魔化していたかった。だから目を逸らして逃げ続けていた。ぬるま湯の中で甘えていたかった。


「清麿、」

「駄目なんだ。俺なんかに、そんなことを言ったら駄目だ。ちがうんだから」


 ギロチンが落とされる前に逃げたかった。この目がいちばんいとしいはずなのに見ていることに堪えられない。僅かに声を震わせた彼を見る勇気はなくて、仕事も忘れて部屋を飛び出した。

 アイツの気持ちは、違う。ただ勘違いをしているだけだ。うっかり、経験のなさから間違えているだけ。

 だって俺は、こんなに痛い。気持ちが刀のような切れ味でもって心を切り裂いていくから。なのに想いを告げられるなんて有り得ない。

 城の廊下を無茶苦茶に走った。どこに向かうかなんてわからない。いつの間にか見覚えのないところまで来ていて、ようやく足を止める。いろんなことをゆっくり考えたかった。頭の中をきちんと整理すればいい答えが出るはず。
 それでも神様は余程俺が嫌いらしく、後ろから伸びてきた腕が考えを阻害する。


「きよまろ」

「……」


 振り向くことはできない。そのはずだった。なのにあまりにもやさしい声で名前を呼ぶから一瞬だけちらりと視線を投げる。悲しそうに眉毛を下げているくせにそれでも笑い掛けてくるガッシュに、どうしてか涙が出た。


「何故、泣くのだ」


 俺は答えられずに壊れた玩具のように首を振る。包み込む腕に強く抱き寄せられて余計に涙は止まらず溢れ続ける。まるで欲しいものが手に入らなくてぐずる子供みたいだ。みっともない。


「清麿、すまぬの。お主を困らせてしまった。嫌だったのであろ?」

「嫌なんて、そんな……」

「なら、なんで、泣くのだ」


 やはりその問いには答えられなかった。自分でもわかっていないものは答えられない。いや、気付きかけてはいるけれどわかりたくない。

 ほんの少しの温もりだけを残して暖かい体が離れていく。それにわずかに寂しくなって、自分の欲深さを心の中で笑った。俯いたままの俺の視界にガッシュの靴が入る。まだ涙は流れ続けていた。


「清麿は、やさしいのだ」

「そんなこと、」

「否やとは言わせぬ。やさしくて、やさしすぎて、そういうところが好きなのだ」


 耳を塞ぎたい。塞げない。いとしい。痛い。カウントダウンの終わりが聞こえた。煩雑な頭の中は更にごちゃごちゃと散らかっていく。暖かい手のひらが頬をそっと包み込む。ゆっくり顔を上げさせられた。ガッシュの真直ぐな目に視線がぶつかって逸らせない。

 昔よりも大きくなった手のひらは、たくさんのものを掴めるのに。その手に包まれたいと、欲されたいと願うものはいくらでもいるのに。

 金色の瞳が求めるのは俺だけだ。

 俺に溢れるほどの愛情が向けられている。もう見ないふりなんてできない程に強く深く胸を抉られてしまった。

 喉が震える。息が詰まる。怯える唇が開く。もう引き返せない。後は追い掛けてくる時間との追いかけっこだ。捕まるまで、走るしかない。
 追われるのは怖い。けれど今失ってしまうほうが余程怖い。蓋をして、鍵を掛けて、目を逸らして、それでも消せなかった気持ちをそっと、取り出した。


「なあ、俺はおまえが好きじゃない」


 ゆらゆらと痛ましく瞳を揺らす彼に、ぎこちない笑みを贈った。誤解だけはしてくれるなと祈りながら後を続ける。ああ、痛い。


「愛して、るんだ。ガッシュ」


(痛いのは全部、おまえを愛してるから)

 ガッシュの顔がくしゃりと歪むのが見えて、そのまま抱きしめられた。温もりに包まれて、また少し泣いた。


「もう二度と離さない。絶対にしあわせにするのだ、清麿。愛している」

「……ああ。愛してるよ、ガッシュ」


 もう一筋涙が頬を流れた。ガッシュの言葉を頭から信じられたならこんなにかなしくも痛くもなかっただろう。


「俺は、おまえを、永遠に愛してる……」


 もしも叶うなら、この言葉が鎖になりますように。時間も運命も何もかもが壊せないほど、強い鎖になりますように。

 もう離れないでも済むように。

(でもきっと、それが叶うことは無いのだろうけど。)

End.
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