アラド同人編(おつきさま)

□ウエストコーストの亡霊
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アラド大陸、その夜。
貿易と観光の名所で何時でも喧騒と灯りが絶えない港町ウェストコーストにも、少し角を曲がればこんな薄暗い通りがあるのだ。
レンガでできた粗野な家が目立つ。こんな路地裏に大抵の人が住むわけもなく、街頭は疎らにしかない。よからぬことを考えている者が『何か』をするには打ってつけの場所だろう。
そんな通りに面した一軒の、これも寂れた酒場。
かの有名な月光酒店の常連客がこの店を見たら、その静けさのあまり同じ酒場とは思わないはずだ。
薄汚れたテーブル、レトロといえば聞こえはいいが、総じて古い、虫食いが目立つかつての有名人のポスターがいくつか貼り付けてある。
当然、安い酒ばかりが目立つ。肴も大した物はない。
その酒場の奥のカウンター。
店主の男が僅かに溜息を吐きながらコトコト音のする琺瑯製の鍋を持ち上げ、そこに入った乳白色の液体をコップになみなみと注いでいく。
「はい、ミルク…お待ちどう様」
猫背の店主がやはり屈みながらコト、とホットミルクをカウンターに乗せる。
「あ、ありがとう…ございます」
木で出来た丸椅子にお尻を半分乗せてちょこんと小さく座るのは魔法使いの少女、メイジだ。
メイジは退廃した故郷である魔界から逃れ、新天地であるアラド大陸で暮らすようになったのだ。
彼女は酒を出すはずの酒場で場違いのように温かい牛乳を頼んでいた。未成年だから仕方がないだろうし、そもそも彼女は酒が嫌いだった。
「まぁでも…ここはお酒を出すお店だから、お嬢ちゃんみたいな子が来る場所じゃないんだけどねぇ……ま、久しぶりの客だ、文句は言えますまい」
店主は溜息を混じえ、愚痴るようにふぅふぅと冷ましながらミルクを飲む少女に言う。
「そう言えば…確かにいませんね、お客さん…」
周りを見渡しても客は少女一人だけだ。
店主は再び、今度は深い溜息を吐いた。
「あぁ…『あの事件』が起きてからは、お客さん来なくなっちゃいましてねぇ…」
「あの…事件?」
少女の反応に少しだけニヤリと店主は笑った。
「お嬢ちゃんはお酒飲めないみたいだし…肴にもならないけど、まぁ聞く価値はあるんじゃないですかねぇ………そうさね、もう数週間にわたって…若い娘さんばかりが何者かに誘拐されるって事件がここの通りで起きてるんでさぁ」
ぞわっ、と少女の背筋が凍る。が、すぐに思い直す。自分は『若い』じゃなくて『幼い』じゃないか。そう考えたら少しだけ他人事に感じた。
「犯人は一体…?」
犯人の人相など、少しでも分かれば未然に防げる場合もある。それに、まだ自分が対象外とは言い切れない。
「そいつがねぇ…わからんのですわ。なんでも、犯人は透明で…」
「透…明?」
少女は店主の言葉を反芻した。深い意味などない。つい口にしただけだ。
「噂によれば―『幽霊』だとか」
幽霊…と来たか。かなり現実味に欠ける話で段々彼の話が馬鹿馬鹿しく感じてきた。
そんな彼女の疑り深い表情を見て店主が苦笑いを浮かべた。
「お嬢ちゃん…信じてないでしょ?幽霊。自分も信じちゃいませんがねぇ…でもホラ、なんたらフットって所じゃあ女の人の幽霊が出るとか…。えーっと…何て言ったかなぁ。ケレス?パリス?…あの幽霊の類じゃないんですかぃ?美しい娘ばかりを連れ去って生き血を啜るのかもねぇ…」
聞いたことはある。恋人と死に別れた女性が幽霊となり、その後アンダーフットの毒気に侵され邪悪な心を持つ魂として今も現世をふらついて、冒険者に襲い掛かるらしい。
「信じられないのはわかりますがねぇ、ホラ、この客の有様が何よりの証拠でさ」
そう言われると、今まで冗談半分にしか聞かなかった与太話が、急に現実味を帯びる。
「まぁ、自分が知っているのはここまでで。とにかくお嬢ちゃん、あんたぁ可愛いんだ、帰り道は気をつけてくださいよぉ?」
「そんなこと…ない、ですよ…」
可愛い、そう言われて、お世辞だと分かっていても年頃の少女の頬は紅潮する。
「あ、お金出します」
ちゃり…と皮袋から小銭を数枚取り出し、店主の男に手渡した。
「久しぶりのお客さんだ、お嬢ちゃんにゃぁおまけしておきますよ」
と手渡したコインの一枚を返してくれた。
「わぁ…あ、ありがとうございますっ」
少女はぱぁっ、と綺麗な花を見つけたみたいな、歳に似合わぬ無邪気な笑顔を店主に向けて、店を後にした。
「またどうぞー」
ドアについたブロンズのベルが申し訳程度にカランと乾いた金属音を響かせる。
外は少し風が吹いてきたようで、店に入る前よりも心なしか冷え込んでいる。
「っ、寒…」
身震いし、ほぉっと手に温かい息を吐きかけ、歩き出す。
宿を借りている少女は、そこに行くために主人の話していた例の通りを通らなければならない。
それにしても……嫌なことを聞いてしまったなと彼女は後悔した。
前から気になっていた店。昼間は何時も閉まっていた。
何となく冒険気分で立ち寄った店だったのに。後味が悪い。
しかし、姿が見えない相手にどう立ち向かえというのだろう。
とにかく、早く帰ろう。
知らないうちに足が速まる。
コツッ。自分の足音にもドキリと心臓が収縮する。
「一人で来るんじゃなかったな…」
街灯がぽつぽつとしかなく真っ暗なところもある。心細い。
彼女はアラド大陸に来たばかり。右も左もわからない。風の向くまま、愉快な声のする方へと足を進めたら、このウェストコーストに行き着いたのだ。
まだ気軽にパーティを組めるような仲間もいない。
「暗いし…なんだか怖いし、早く帰ろ」
そう呟きながら、いつの間にか止めていた歩を再び進めた時だった。
「ふぐぅぅぅ!?」
いきなり後ろから体を押さえられ、口が塞がれた。
「ふっ―う、ぅううぅ!!?」
だが、確実に少女の口を塞いでいるはずの、体を抑えているはずの腕が見えなかった。
『もう数週間にわたって…若い娘さんばかりが何者かに誘拐されるって事件がここの通りで起きてるんでさぁ』
『なんでも、犯人は透明で…噂によれば―『幽霊』だとか』
同時に脳裏に浮かぶ店主の怪談話。
まさか、本当に幽霊が…
必死にもがくも、まるで金縛りに遭ったかのように体が動かない。
それどころか、何やら鼻を突く科学薬品の臭いが、少女の体から力を奪う。
意識が、遠のいていく。
「う…うぅぅ、ふぅぅ…」
誰か…誰か。
助けて助けて助けて。
願うも、それが届くことはなく。
遂に少女の意識は途切れた。
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