小説2

□手紙 2011.11.19〜連載中 最終更新2012.6.28
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 いつもの通りに水中から人影が現れた。

 どういう原理になっているのかは未だというか、多分一生オレにはさっぱりぽんと解らないままだろう。だがお告げが間違ったことはないし、御光臨に水が絡むのも絶対だ。冬場は寒そうで気の毒だけれど。

 オレは、いやオレたちは、言賜巫女様の仰った通りの水場で、すなわち血盟城の中庭の噴水の前で、今か今かと待っていた。もちろんというか当たり前というか、閣下方も一緒なので、静かに大人しく待機ってわけにはいかない。皆さん思い思いに騒ぐので、いつも静けさとはほど遠い状態だ。婚約者様と王佐殿の口喧嘩は毎度のことだが、今日は待ち時間が長かった分、とくに酷かった。二人とも苛ついているせいか、音量も音域も増幅されている。あまりの騒々しさに帰りたくなっていたくらいだ。
 だが御帰還の瞬間に立ち会えるのは光栄なことだし、なによりオレ自身が会いたいし。
 そんなこんなで不快感と自分の気持ちを天秤に掛けた結果、寒空の中で一時間以上も立ち続けていたわけだ。

 だがようやく試練の時間も終わった。北風とキンキンくる声にずっとさらされ続けてウンザリしていたオレは、水中に影が揺らいで思わず歓喜の声をあげてしまい、少しだけ罪悪感を感じてしまった。違うのよ、会いたかったのは嘘じゃないのよ? 本当に会いたかったんだからねっ。
 でもやっぱり、こんな汚い池じゃなくて風呂にしてあげてくださいませんかねぇ。せめて今の時期だけでもさ。そして最近は場所に大幅な違いはないとはいえ、あいかわらず時間に誤差がありすぎよ。ねえもっとなんとかなんないのー?

 心でそう愚痴って、もとい、願っているオレの目の前で水が勢いよく盛り上がり、特徴的な色の頭が、続いて麗しいお顔が出現した。ぶはぁッと男らしいお声を上げながら顔を出した少年の髪は濡れている分、いつもより艶めいている。陽の光に輝いた黒髪とパッチリとした黒い瞳を見たとたん、ギュンギュン閣下が崩れかけたのが真横にいたオレには分かってしまった。被害を受ける前にそっと後ろに移動する。彼は彼で前に足を踏み出しているので、汁は浴びずに済みそうだ。
 って、自分だけ助かってもな。鼻息荒く手の指をニギニギとしている男はどっからどう見ても挙動不審で、陛下が気の毒になった。あのままの勢いで抱きつかれたら、全身が汁色に染まってしまうだろう。
 だが、そんな飛びつかんばかりの怪しい汁閣下を出し抜いた男がいた。

「おかえりなさい陛下」

 おーおー、あいかわらず抜目ないこって。理性を失いかけている人よりも、そして血を分けた弟よりも素早く近寄った男が、これまた素早く陛下の頭にタオルを被せた。爽やかの見本みたいな全開の笑顔で、歯までキラッと光らしちゃっている。妙齢のお嬢さんどころか、女全般が悩殺もんの微笑みだ。あれには五百のばーさんだって乙女のように頬を染めるだろう。
 そんな爽やか野郎のお出迎えに陛下はとても嬉しそうなお顔をしたが、ちょっとだけ不機嫌そうなそぶりも見せる。少しだけ尖った唇が想像通りの言葉を紡いだ。

「陛下って呼ぶなよ、名付け親のくせに」

 もう何回聞いたことだろう、このお言葉を。そして何回見たことだろう、あいつのあのニヤケきった顔を。口元をだらしなく緩めたあの間抜け顔を。
 出るぞ出るぞ、いつもの台詞が。

「すみません、つい癖で」

 あーあ、出ちまった。続いて奴は恐れ多くも魔王陛下のお名前を呼ぶ。これがいつもの慣習だ。
 ぶん殴りたくなるよな顔をした隊長の、ただでさえ良い声がますます良くなっている。何十年も聞きなれているオレでさえシビれて聞き惚れちまうような、そんな声だ。この場に女がいなくて良かったよ、ホント。いたら絶対、腰が砕けて動けなくなってるね。
 留学中の姫さんがいないことにオレはそっと安堵の息を吐いた。姫さんと陛下は会わせてさしあげたいけど、そろそろあのお嬢ちゃんも年頃だし、ヤバイんじゃないのかねぇこの男の存在は、などといらぬ心配を抱かせてしまうようなそんな顔でコンラッドが笑っている。ただ一人にだけ向けて。

「では改めて。おかえりなさいユー…」
「ユーリって呼ぶなよ臣下のくせに」
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