小説3

□訪問者 2013.6.6
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 睡眠中に意識が現実に戻りかけることがたまにある。その夜の村田健もそうだった。
 しかしノンレム睡眠とレム睡眠の狭間の朧げな世界にいたとはいえ、目を開けなくても辺りが真っ暗なことは分かったし、まだ眠くもあったので、村田はそのまま睡眠を続行することにした。いやそう決めるまでもなく彼は眠りに落ちかけた。肌寒い深夜に自分と同じ温度の布団の中にいて、睡魔の誘いに抗える者は少ない。

 だがその時、ヒンヤリとした風が彼の頬をスッと掠めていったのを感じた。寝ぼけながらも、あれ〜たしか窓は閉めたよなあと、目をつぶったままボンヤリと思っていたら、すぐ近くで密かな密かな音がした。
 窓の開く音は何も聞こえはしなかったのに、村田の頭の上で小さな呟き声が聞こえてきたのだ。

「げいか……」

 しゃがれた声には内緒話をする時のような遠慮が伴っている。だがそのひそやかな声はもう一度、村田を呼んだ。

「……猊下……」

 誰の発したものなのかは聞いた途端に分かったし、頭も瞬間的に冴えていったが、それでも目を開ける事を村田は躊躇する。今の今までものすごく眠たかったのに、声を聞いた途端に眠けが全て吹っ飛んだなんて、なんだか照れ臭くてたまらなかったからだ。
 だが身動きひとつしなかったせいで熟睡していると勘違いしたのだろう。声の主は溜息を、それはもう聞いたこちらの胸が痛くなるくらいの切ない、長い溜息を零した。そうして身体中の酸素を全て放出したかのように悩ましく息を吐き出した相手は、これまた悲しげな声を発した。

「……おやすみなさい」

 悲しそうなくせに、やたら優しく囁いた男の気配が遠ざかっていく。この部屋から出ていこうとしているのだと気付いて、村田は考えるより先に言葉を発していた。

「どこ行くんだい」

 たちまち足を止め振り返った男の顔は、闇夜の中でも、村田の乏しい裸眼でも分かるくらいに意表を突かれたというのがピッタリな表情だった。
 二秒ほどその顔になっていたヨザックが、先程とは別の意味でまた溜息を零した。

「……相変わらず人が悪いわぁ。起きてたんならそう言って下さいよぅ」

 キツネ寝入りなんて、とバツが悪そうに頭を掻いているが、あんなものを思いがけなく目撃してしまったこちらも反応に困る。なので村田は瞼を擦ってみせた。

「きみがたった今、起こしたんじゃないか。その証拠にほら、目が開かない」

 瞳を擦るとようやく瞼が持ち上がる、といった演技をしながら言ってやると、ヨザックは騙されたらしい。気遣う素振りを見せる。

「そいつぁすみません」
「起こすのが嫌なら、今度からは話かけるのはやめるんだね」
「そんな、いつもやってるみたいな言い方しないでほしいわあ」
「違うのかい?」
「んー、まあ違うとは言い切れませんけどぉ」

 こんな気恥ずかしそうな彼は珍しい。そしてこんなあからさまな演技に騙されてしまうことも、いつもならありえなかった。騙されたふりをしてくれる事はあったけれど、明らかに今のは違う。
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