「ネネネネネウロ!?」

「残念ながら我が輩はそんな名ではない」


薄い形の良い唇を耳まで吊り上げて、男は笑う。
その瞳は、口とは逆の弧を描いて。


この地上は『謎』に満ちている。

そして今、最も複雑で最も深遠な謎は

何故、

魔人の私が

人間の男に

押 し 倒 さ れ て る の か


ということかもしれない。



【Amuse gueule】(みずもり)


ことの起こりは、一年前に他界したさる有名な芸術家のところに届けられた犯罪予告から始まる。

予告を出した犯罪者、その名は怪物強盗X(サイ)。
彼は私を魔人であると知りながら、なお殺して中身を見ようとつけ狙う・・・人間だ。

あまりにも誰にでも変身できる細胞を持つために、本当の自分の正体さえわからなくなってしまった人間。

人の思いが詰め込まれた美術品を盗んだり、粉々に砕いた他人の細胞を「箱」に詰めてはそれらを観察し、自分の正体を探す人間。

そして、魔人である私に、恐怖を与えた人間で。

この怪盗は私のみならず、ネウロにも興味を持ったらしく、何と私たちにも犯罪予告を出してきた。
『謎』というディナーを用意して。

一方、ネウロの方も思うところがあったらしい。


『我が領内で犯罪予告とはいい度胸だ』


魔人もびっくりの黒い笑みを浮かべながら、犯罪予告の黒いカードを長い指でピンと弾く。

日頃はただの悪食ドSに見えても、一応は公爵。
自分の領地内で問題を起こされるのは面倒なのだろうか。

その真意は測りかねるけど。


『いいだろう。奴の我が輩への執着など知ったことではないが・・・家畜の餌という手土産を準備した心構えは買ってやる。招待されてやろうではないか』

『家畜の餌って・・・何気に非道いこと言ってるよね』


ともかくそんなわけで、怪盗からの美術品盗難予告と、謎の気配に導かれ、私たちは先ほどまで芸術家の家を訪れていたのだった。


「で、何でこんなことになってるのっ・・・」

「貴様が中身のないカボチャのようなことを言うからだ」

「中身のないカボチャって存在価値がないじゃん!」

「その通りだが」

「・・・・・・・・・」


両手首を床に縫いつけられて見上げるは、端麗で魅惑な微笑。
その深い緑に吸い込まれそうになって、慌てて目を逸らす。


「私はただ、新鮮な謎が生まれる気配がするから、あの人たちに伝えなきゃって言っただけだよっ」

「だからそれが愚かだと言っている。このピーマン頭が」

「・・・中身が空っぽってことですか」

「ム?それはわかるのか。我が輩、貴様を見くびっていたぞ。ピーマンではなくパプリカに格上げしてやろう」

「カラフルになっただけじゃんか!」


思わず目線を合わせて叫べば、さも楽しげに笑われる。
なんだか悔しくて歯噛みすれば、片手が外されて頬に触れた。

親指がゆっくりと唇をなぞって中心で止まる。

首の後ろがぞわりとした。


「伝えてどうする?貴様の餌がなくなってしまうかもしれないのだぞ?」

「・・・・そうだけど!やっぱり殺人は・・・・良くないよ。死んじゃうんだよ!?」

「食を求めて地上に出てきた癖に、他人の心配か。おかしな魔人だ」

「おかしいのは・・・、」


あんただ。そう言おうとしたが、月が欠けるように瞳をうっとりと細められて言葉をなくす。

確かに、自分は魔人としては特殊な部類に入るのだろう。
しかしこの男だって普通とは言い難いはずだ。

人間とは、もっと慈悲深く同情心に溢れているものではなかったのか。

睨みつけても、いっこうにその余裕は崩れない。
唇の上で止まっていた指がそっと動いて歯列に触れた。革の感触が歯を滑る。

視線は絡めたまま、意識は口に集中し始める。
凄艶な笑みはまるで相手を縛り付ける呪縛だ。

この男はわかっていてやっているに違いない。


「仮に、だ。もしあそこに殺人を計画した人間がいるとしても、また殺人を後日に延ばすだけだろう?」

「・・・・・・・」


その言葉に思わず視線を外す。
それはその通りで。


「貴様の話を総合すると、」

「・・・・・ネウロ」

「“謎”は生まれるべくして生まれるのだろう。そこには・・・我々の干渉する余地はないのではないか?」

「・・・・・・・・」


ネウロは、

驚くべき知性を持っている。

ほんの少し話した“謎”についての情報から、もう真実を導き出していて。

情報を多角的に組み立て、推理し、結論を出す。
それは人間の持つ複雑な心と脳で可能だ。

感情、という点ではこの男に一縷の人間らしさも感じないが、その心根の強さと明晰な頭脳には紛れもない人間性を感じる。

やっぱりこいつも、
人間、なんだ。

そんな当たり前のことをしみじみと感じながら


「その通りだよ・・・私たちにできることは“謎”の誕生を知ることだけ」


目を逸らしたままに呟けば、口元にあった指がまた頬を撫でた。

まるで労るようだ。

ふと心が潤う。
実はこいつも心配してくれてる・・・とか、

ほんの少し期待して見上げれば


「そして我が輩にできる事は、その謎を喰って肥えた貴様を料理することだけだ」


そ れ は 違 う 。


思わず固まって見つめれば、満面の笑み。
あの労りかと思われた頬を撫でる仕草も、実は単なる食物の吟味だったんじゃないか。


「だから私は食べ物じゃないって・・・っ」


つぅと背中を汗が流れる。
焦って意気込みながら声を出せば、その頬を撫でていた指が一気に食い込んだ。


「むぎゅっ」

「だいたい、貴様は甘いのだ。喰うという行為はそもそも残酷にして慈悲深い命のやりとりだぞ?“いただきます”とは命をいただくことなのだ」

「に、人間は、ひょうかもひれないけどっ」

「それはエネルギー体を喰っている貴様とて変わらん。例え殺生に関係なくとも犠牲は伴っている。喰うことの重みも責任も感じられん奴は、飢え死にすべきだな」

「ひょ・・・ひょれはひやだけど・・・ぷぎゃっ」


持ち上げられてひっくり返され、変な声が出る。
俯せになった私に、男はどかりと乗っかかってきた。


「ちょ、何する気!?」

「甘っちょろい貴様に、喰うことの手本を見せてやろう」

「い、いらない!ごめんこうむ・・・ひゃっ」


いきなり首の付け根を噛まれて、動きが止まる。


「ネウロ!?」


かぷり。
もう一度。

痛みはない。
だが、尖った歯が肌に食い込む感触はリアルに伝わってきた。


「ちょ、やめ・・」


べろりと、その跡を舌が舐め取る。
一気に鳥肌が立って、吐息が漏れて。


「ネウロ!!!」


まるで悲鳴のような自分の声。
いったいこれから何が為されるのか。

例え、自分の肉体の強さに自負があっても・・・
それは、恐怖に値する感覚だった。


「ヤコ」


行為に反して、まるで睦言を囁くかのように甘い声が耳のすぐ後ろから流し込まれる。
ぞくぞくと寒気とともに肌の上を電流が走る。


「出されたものを喰わんばかりかケチをつけるなど、最低のテーブルマナーだぞ」

「・・・・・・」


人の上に乗っかる礼儀知らずにテーブルマナーを諭されてむっとするも、言っていることは正論だから反論できない。


「喰い手は感謝を込めて、ただ料理を味わえばいいのだ」


首に触れる革手袋の感触。
目を瞑れば、それは耳の後ろから、鎖骨に向かってなだらかに滑り。

もう一度首を甘く噛まれて、体中がじんと痺れた。


「・・・・ネウロ、」

「そうだ、ヤコ。一つ教えてやろう」

「・・・・・?」


まるで日常会話のように淡々と紡がれる言葉。
しかし、男の右手は器用にブラウスのボタンを外していく。


「ネウロ、ちょ、・・・っんぅ」


空いていたもう片方の指が口の中にねじ込まれた。


「料理も推理も原理は同じなのだ」


二本の指が口内を弄る。
はだけたブラウスには手のひらが侵入して、


「んんんぅっ・・・んん」

「在るがままのものを、在るがままに、最上の味になるよう整えるだけ」


胸を大きく撫で回す。
口の中の指に舌を捕らえられて、唾液が溢れ出た。


「んぅぅっ」

「素材への深い理解と、」


身体中が、熱を帯び始める。
耳の後ろや首、そして肩に落とされる口付け。


「環境が素材に及ぼすあらゆる影響を考慮し」


男の吐息が、熱を煽る。
皮膚を走っていた電流が、腰の奥に溜まり始める。


「相応しい料理法を選び」


ぐちぐちと口内をかき回す指は、次第に甘く。
余すところなく触れられ、優しく突かれ、舌を擦り上げられて、


「んん・・・んんんむ」

「正しい手順で旨味を引き出す」


大きく撫で回していた右手の爪が、かりっと頂を掠った。


「んんんんんぅっ」


背がしなる。
熱くなっていた目の奥からは、不覚にもぼろりと涙が溢れ出た。


「シンプルだろう?」


引き抜かれる指。
顔を下ろして、肩で息をする。

また耳を甘く噛まれて、身体中が震えた。


「それでいて、かくも深遠なのだ。料理も推理もな」


認めたくは無い、

快感。

ぞわぞわと今だ余韻の残る身体を必死に立て直して、涙目のまま後ろを仰ぎ見る。


「・・・・これも、」

「ム?」

「あんたにとっては料理?」


男はさも嬉しそうに口の端を上げて、鼻を突き合わせるように覗き込んできた。


「最初に言っただろう?喰うことの手本を見せてやると」

「・・・・・・・・」

「これはただのつまみ食いだ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・つまみぐい」

「オードブル前の突き出し、といったところだな」


身体から離れていく男の重み。
それを感じた瞬間、一気に脱力してしまう。

床に突っ伏して、しばし瞑目。


「なんだ、料理して欲しかったのか」

「いや・・・・・・・結構です」

「早く言えば大鍋を用意してやったものの」

「いらん!!」


顔を上げれば、いつの間にか男は前に回っていた。
相変わらず三日月状の深緑。

膝を付いて、伸ばされる長い指。

それがまた唇に触れて

じんわりと熱が再燃する。


「安心しろ」

「・・・・・・・・」

「我が輩はまだ貴様という食材を理解しきっていない」


虹彩が煌く。
うっとりと歪められた唇は、必要以上に艶めいて。

まるで愛しいものをみるような眼差しだから、


それ以上、何も言えなくなる。


三本の指で唇を上下共にゆっくりと弧を描くように撫でられて、思わず目を閉じた。

眩暈のする甘さ。


「料理はそれからだ」

「だから、結構だってば・・・・」




例の芸術家の家から、殺人の発生の連絡が来るのは、このすぐ後のこととなる。

そして、その事件は、思ってもいない方向に進むのだけれど、

それはまた、いつかのお話で。



END
 →公爵の晩餐『Faisandage』へ微妙に続く。

※Amuse gueule:オードブル前に出される簡単な料理。突き出し。直訳すると“口の楽しみ”



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