はじめてうちに来たときに、カメラを提げていたから、不二くんは写真を撮る人なんだと思っていた。全体的に色素の薄い彼は、私の兄弟と比べて随分と白い肌をしていたので、私は不二くんが英二と同じ、ラケットを持つ人だなんて、夢にも思わなかった。実際にはうちの弟の部活仲間で、しかも何枚も上手なプレイヤーらしいのだけれど、私にはテニスコートにいる不二くんがどうしても想像出来ないのだった。
「僕がテニスしてるのは想像つかない?」
「え?」
「英二が言ってた」
「あいつ…」
私は二階でバタバタと、友人を待たせて身支度を弟を睨み付ける真似をした。新しく買ったTシャツがないだの、筆箱がないだの、先程から大騒ぎだ。一緒にテスト勉強をする約束をしていたという不二くん、部屋が汚くて上げられないと言う英二を半ば無視して、我が家の居間でテキストを広げて、シャーペンを走らせ始めた。昨夜金曜ロードショーで一世を風靡したホラー映画を観てしまい、眠れなくなった間抜けな英二は、爽やかな朝とは言いがたい曇天の昼下がり、不二くんの訪問に伴い漸く重たい瞼をこじ開けた。つまり寝坊したのである。我が家は三世代同居で、今時珍しい大家族だが、今日はたまたま英二と私しか家にいなかった。祖父母は老人会、両親は仕事、他の兄弟は、それぞれ明確な意思を持ってどこかに出掛けている。麦茶を持ってきただけの友人の姉に世間話をふっかける不二くんの態度は、暇な子供というよりは、気を使う大人という様で、中学生男子イコール菊丸英二である私の認識は華麗に覆された。
「色が白いからかな…あんまり運動部に見られないんだ、僕」
不二くんは冗談っぽく言った。柔和な微笑につられて、私は椅子を引き、本来ならば英二が座るべき不二くんの向かいに腰掛けた。末っ子の英二にはこういう、人を待たせても謝れば構わないだろう、とでもいうような天性の傲慢さが備わっている。あの天真爛漫さをそんな風に解釈するほうがどうかしているのかもしれないが。
「待たせて、ごめんね」
「え?ああ、慣れてるから平気…というか、待ってないしね」
不二くんは、嫌みにならない調子で言って、広げたノートをシャーペンの背で軽くつついた。私は彼が自分より大分年上であるかのように錯覚したが、まだ成長途中の健やかな体躯は見るからに年下のそれだった。
「ねぇ、僕は確かにテニス部に見えないかもしれないけど、それを言ったら、君だって、全然英二の姉には見えないよ」
それは言葉通りに受け止めれば、単純に私と英二が似ていないという話なのだろうけど、不二くんの口から出ただけで、何かとても素敵なことのようだった。
「どうせ、同い年くらいに見えるって言いたいんでしょ」
うちの家系はみんな童顔なのだ。不二くんがそんな意味で言ったのではないことくらいわかるのに、わかっているのにそんなことを言ったのは、この男の子のペースに巻き込まれている自分が悔しいからだ。ここがうちのリビングでなければ、私は不二くんを特別に意識したかもしれない。でも彼は弟の友人で、私は彼の友人の姉なのだ。そうは見えないけど、そうなのだ。私は自分に言い聞かす。そういえば、やけに二階が静かだが、英二の奴、寝てしまったんじゃないだろうか。
「うん、君と英二が並んで歩いてたら、姉弟っていうより恋人だと思うだろうね」
冗談なのか、何なのか、不二くんは、ここまできたらポーカーフェイスと称してもいいんじゃないかってくらいの微笑を浮かべたまま続ける。
「それから、僕は嫉妬するだろう…英二にこんな可愛い恋人がいたなんて、ってね」
不二くんは茶目っ気たっぷりに言って、不敵に笑う。からかわれているとわかっているのに、頬が高揚するのが恥ずかしくて、私は強引に話題を変えることにした。
「え、えーっと、不二くん、なんで英二は三男なのに英二っていうか、知ってる?」
「知らないな、言われてみれば確かに少し変わってるね」
「次男の名前に二を入れそびれたからだよ」
不二くんは、一瞬ポカンとしてから、クスクス笑い始めた。どうだ、くだらないだろう。菊丸家では有名な話だ。
「英二の名前に二がついてて良かった」
「なんで?」
「進学して一番に話しかけてくれたのは英二なんだ。名前に二がつくの、お揃いだねって」
菊丸家では知られていないエピソードの登場に、私は楽しくなる。今度、お盆に親戚が集まったら披露してやろう。もっと掘り下げようとしたところで、すごい勢いでリビングのドアが開かれた。
「ふーじーっ!それは二人だけの秘密って言ったじゃん!」
「そうだっけ?」
駆け込んできた英二の頭の不自然な位置に、いつもはない跳ねがある。やっぱりもう一眠りしていたようだ。おまけに肝心の勉強道具をまるっと二階に忘れたらしく、慌てて取りに戻っている。何のために降りてきたのだろう。我が弟ながら、惚けた奴め。
「僕はこのまま二人きりでもいいけど?」
不二くんは、そんなことを嘯いて、やっと麦茶のグラスに手を伸ばす。氷が涼しげな音を立てた。



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