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□ブロッサム
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 りりりりりん、と電話が鳴った。
 今時珍しい旧式の黒電話は、それが呼び出し音を奏でること自体が珍しい。用事がないから、と言う訳ではなく、料金が払えずに止められていることが多いからだ。
 今月は大口の依頼があったお陰で、三カ月ほど滞っていた家賃と電話代を払い果せていた。こちらから金を持っていった時の登勢は、すわ天変地異の前触れかと慌てて外を伺い見た。
 どれほど信用がないのかと悲しくなりながらも、人影が差す度に机の下に隠れることもない、極めて文化的な生活が送れている。それ自体は己の精神衛生上、非常に良いことだった。
 りりりりりん、と電話は尚も鳴る。
 食べ物ではなく、勿論宇宙海賊でもなく、天気の春雨に、くるんくるんと収まりが着かなくなった髪の毛を、切るかどうか悩んでいた男は、季節外れのヘアカタログに頭を突っ込んだまま、すやすやと寝息を立てている。
 最近新しい友達が出来たという少女は、嵐のように昼飯を掻き込んでいった後、一度も姿を見ていない。
 つまり今この場で電話を取れるのは自分ひとりで、洗い物をしている間にズレた眼鏡を押し上げながら、新八は重い受話器を取り上げた。

「はい万事屋銀ちゃんです」

 墓と家と保険に用はありません。と胸の中で付け加えた言葉に応じたのは、意外な人物であった。


ブロッサム




 ぼんやりと視界を煙らせる花に、銀時は「ほぅ」と息を吐いた。
 右手に握られた酒杯のお陰で、身体の奥がふわふわとあたたかい。昼間から酒を飲んでいても許されると言うだけで、花見という文化を考えた人間は素晴らしいと思い、それからまた杯を口に運んだ。
 特にさくらの名所という訳でもない、街の片隅のちいさな公園では、春を象徴する花が満開だと言うのに、酔客の姿はない。時折、遊具と戯れるこどもたちの声が届く他は、そこはひどく静かだった。

「美味いか?」

 流石に花見に来てそのままでは無粋だと思ったのだろう、
ここまで被ってきた笠を脱いだ男は、ちびりちびりと減っていく酒瓶の中身を指して訊く。一升瓶を抱えてやってきた彼は「花見に行こう」と言うと、寝ぼけ眼の銀時を有無を言わさず連れ出した。いつもは母親のように小煩い助手の少年が何も言わなかったところを見ると、新八には予め話が通してあったのだろう。
 午后の高い陽射しを浴びた瓶は、やわらかな曇り硝子。水墨のさくらが描かれたラベルには、ほのかに赤みがかった銀の箔で《桜雨》と書いてある。酒を注ぎ足す度に、ちらちらと底で踊る金粉と、簡素でありながら瀟洒なデザイン。そして何より清水のようにするりとした喉越しに、見え隠れする幽玄の如き淡い甘味が、それが普段居酒屋で口にするような安酒とは全く異なることを教えた。

「美味いよ。お前も早く呑め」

 けして暮らし向きが裕福な訳ではない男ふたりで呑むには、贅沢が過ぎる酒だけれど、その出所を訊くほど銀時は野暮ではない。酒も料理も美味いに限る。そこに水を差すような人間は江戸、特に歌舞伎町では生きていけない。

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