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□夜明けぬ花
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 夜のしじまにひたひたと月の光が滲んでいた。
 隣にあるのは他人ではないような、けれど他者である幼なじみの体温だ。彼は時折「寒いから」という言い訳を引っ提げて、この部屋を訪ねて来る。
 埒もない、そんな言葉。本当はいつでも受け入れてやる用意はあるのに、銀時はそれを言い出せずにいた。それを言えば、この感情に名前を付けなければならなくなるからだ。胸の奥に知らぬ間に芽吹き、根を張り、今やいつそれが生まれたのか、己自身でさえ判らぬちいさな花に、名を付けてやらなければならないからだ。
 その花はやわらかな薄紅色をしている。
 それを嫌だな、と銀時は思っていた。色ならば赤が良い。鮮烈な、残酷な、まるで夜を引き裂く来光のような、逢魔ヶ刻の空のような、そんな赤が良かった。
 それならば何の躊躇いもなく、その花を引き千切り『未練』と名付けて、記憶の闇に投げ込むことが出来た。
 桂小太郎を『旧友』として、少し迷惑な顔をしながらも、いつでも来いと迎えてやることが出来た筈だ。
 けれどその花は、抜けるように白い少女の指先に僅かに射す紅色のように、はかなくて繊細な色をしていたから、銀時はそれに手が出せずにいた。
 それもまた嫌だな、と思う。
 受け身でいるのは性分に合わない。
 自堕落でいるのと、受け身なのとは似ているようで、多分全く違う。その自らを内に、内に、閉じてしまう臆病さを銀時は嫌って、時折無意識に花の側へと寄ることがある。
 けれど結局はそれをまじまじと見詰めることさえ出来ずに、ただ絡み付く芳香に背を背けて今日までを生きてきた。今こうして、おさななじみの体温に背中を晒すのと同じように。見ぬよう、感じぬよう、触らぬように生きてきた。
 いつか、もしかしたら、彼や自分以外の誰かが、己の内に住まう未練がましい感情に決着を着けてくれるのではないかと、僅かではあるが確かに期待もしていた。けれど、そんな日は永劫来ないと知ってもいて、埒もない願いに溜息が漏れる。

「眠れぬのか?」

 不意に掠れた声が背に掛かる。知っていた筈なのに、知らぬ間に沈んでいた思考は彼の存在を忘れさせていて、肩が驚きに跳ねた。身動ぎをする音と共に自分のものではない体温が寄り添って、銀時は自分が憐れみを施されていることに気付いた。
 それは温かく、やさしく、振り解くことは叶わない。

「なんだよヅラ、お前の布団も敷いてやっただろう。戻りやがれ」

 けれど情けに縋ることを簡単には良しとしない強情が、その温かさを受け入れることを拒む。並んで延べられているだけの、冷え切っているだろう布団に戻れと言うと、ちいさく笑いが落とされた。

「良いだろう。今日は寒い」

 銀時の言葉には取り合わず、聞き慣れた理由にもならぬ声を聞かせて桂は益々距離を詰める。抱き込むように回された腕のぬくもりに、抵抗を投げ出して銀時はされるままになった。
 じんわりと混じり合う体温に、泣きたいような気分になって頬の内側を噛む。感情の揺れを押さえ込むように撓んだ背を、空いた手が撫で擦る。
 多くの命を奪った手だ。それは自分だけではなく桂も同じ筈なのに、彼は何故そんなにも温かい情を持っているのかと、銀時はそれを施される度に不思議になる。
 他人から見れば、ふたりは本当のところそんなには変わらない。血の匂いももう殆ど香らず、江戸に住む人々に馴染んでしまっている。なのに銀時には桂の存在が、どうしてもうつくしいものであるように見えた。
 ただの友を思うのではない気持ちを桂に向けてはいても、銀時は彼を女のように思ったことはない。けれどもこういう時の桂は、己が持たずに生まれてきた母のようで、それがどうにも耐え難い。
 そうして無闇に情を施されては、自分の気持ちがただそれに縋る為の言い訳であるように思えるからだ。

「銀時」

 静かな声が、夜を遮らないように名前を呼ぶ。

「眠れ。明日は仕事はないのか」

 きっと桂も銀時が何かを抱えていることなど気付いているだろうに、そのことには触れない。そうしてやさしいだけの声を聞かせる。

「お陰様で大入り大繁盛だ」
「そうか」

 背中から伝わる熱は声をぼやけさせる。次第にまどろみが目蓋に伝わり、銀時は夜の果てを見ない内に瞳を閉じた。
 いずれ来る花の咲く日を、遠く夢見て。




 弱い銀時と、それを受け入れる桂の話。
 本当は桂にも銀時と同じく弱い部分もあるのだけれども、銀さんが先にそれを見せるので、桂はそれを抱えて生きてるんだよ、という理不尽な話。

100125




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