short


□ブロッサム
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「ほら」

 その代わりに桂の手の中に杯を滑り込ませて、酒を傾けた。とぷとぷと注ぎ込まれた透明な液体は揺らめき、七色に光を散らす。
 促せば、彼の手はそれを傾け、白い喉をこくりと震わせ、酒精が胃の腑を焼く感触に、深い息を吐いた。
 一気に半分ほども飲み干された杯に、首筋には鮮やかな紅が差す。桂は昔からそうで、誰よりも早く紅くなるくせに、誰よりも最後まで静かに飲み続けた。体質など、そう変わるものではない。それを知りながら、変わらぬ友を嬉しく思った。
 冬の間に伸びてしまった髪を風が弄ぶ。眩しさに目を細めながら頭上を見上げると、控えめに色付いた薄い花弁が陽光の下では白にも見えた。
 はらはらと絶えず舞い落ちる花は、去年、一昨年、その更に以前の少年期に見たものと変わらず、ただ陶然とうつくしく、そこにある。その様を潔いと、侍の生き様の指標だと言ったのは誰だったか。今は隣で杯を傾ける男と机を並べた学び舎で、夢と現の狭間で聞いた声を思い出そうとして叶わず、記憶はするりと指の間をすり抜けて行った。

 ふたりの間を満たすのは沈黙だ。穏やかで何処か冷たいそれは、居心地の悪いものではない。寧ろ包み込むようなやさしさは、銀時の知らない、桂が捨ててしまった母の腕のようでさえあった。
 何でもない会話をぽつりぽつりと交わしながら、口は殆ど美酒を味わうことに使う。酌み交わすそれが程良く体に巡り、桂の目元もとろりと溶け出した。
 飲み始めた頃は中天を指していた陽は、少しずつ傾き始めている。蜂蜜を溶かしたような、鼈甲の陽射しにちいさな花びらがほろりと光る。
 絶え間なく続くちいさな春の洗礼に、見頃もそろそろ終わるだろうと思った。

「どうして、」

 何かの拍子にちいさな疑問詞が零れ落ちる。

「どうして花見なんて言ったんだ?」

 問うたそれは音になった途端に、わざわざ訊くべきものだとも思えず、銀時は杯の中から顔を上げることが出来なくなった。ひらりと待った花びらが、戯れに表面に浮かぶ。
 それを飲み干すべきか否か迷っている内に、桂の静かな声が鼓膜を震わせた。

「春だから、だ」
 当然のように返された答えは、風流を愛する彼らしいと言えばそうで、けれど日常の雑事が友人にそれを許さないことも知っていたから、それをそのまま受け取って良いものか迷う。迷ってその横顔に視線を滑らせれば、蜜色の光の中で、ほのかに彼が微笑んでいるのが見えて、銀時はそれ以上問いを重ねるのを止めた。

「そうか春だからな」

 飲み干した酒はやはり甘く、喉にひやりと軌跡を残す飲み口は春の雨と、さくらの花にひどく似ていた。







春なのでお花見話。
090410

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