スミレソウの咲くころに

□宇佐見菫子の憂鬱
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  超常現象や心霊現象、オカルティックな話をいつまで信じていたのだろうか。
 そういった不可思議現象や非科学的な存在を幻想だと理解したのはいつからだろうか。
 いや、最初っから虚構と知った上で楽しんでいたのかもしれない。テレビに出てくる超能力者は大概がなにか仕込みをしているであろう事は物心ついた時からなんとなく察していたし、心霊番組の映像は明らかな合成映像と分かるくらいに目も肥えていた。
 それでも、心のどこかに本当であってくれと、本物であってくれと願う部分はあった。
 だってそうだろう?たまたま自分がそういう現象が起きた時にその場に居なかった。それだけで嘘だ偽物だ虚構だと決めつけて良い訳じゃない。
 危険かもしれないが、幼い頃はそういった不可思議現象が自分の身に起きてほしかったのだ。
 ただ、どんなに頑張ろうとそういった事象は自分の回りで起こらない。
 いつ遭遇しても平気なようにと子供ながらに鍛えたりもしたが、全ては徒労に終わってしまった。
 だけど今考えるとわざわざ自分が危険に飛び込む必要はないんじゃないか?と思うときもある。自分一人じゃなければ……。自分と同じかそれ以上の知識がある相手だったり、超能力者本人だったりと協力出来れば自分で不可思議現象を観測できるのではないか?と想像したこともある。……がそもそも机上の空論で、そこまで熱心なオカルトや超常現象好きだったり、超能力者と知り合う可能性なんて0に等しい……0じゃないのは俺自身の願望があるけれども。
 この世の法則は良くできている事を改めて世界に見せつけられて、いつからか俺はテレビの超常現象系の特番をそこまで本気になって観なくなっていた。
 でもやっぱり心の何処かでそういった特別な体験してみたいとは思う。しかし、実際に出会ったときのリスクを考えると一ミリも会いたくないとも思ってしまう。この理想と現実の狭間で心が揺れ動く……一目会ってみたい、でも会いたくない……ってな。恋する乙女か。
 中学を卒業するくらいには、そんな夢を見る時間は終わったのだと、友人等に現実を突きつけられ、回りに流されるように勉強をするようになった。
 結局、この世は普通に充ち溢れている。不思議というものは全て科学の明かりでその正体を白日の元にさらされてしまっているのだ。つまり、俺が生きている間に新しい未解明な存在とは出逢うこともなさそうだ。
 そんなことを頭の片隅でうっすらと考えながら、他の同級生と同じような普通の高校生になり――――――――――――、









宇佐見菫子と出逢った。



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