アイシー小話その3

□バックネットの死臭
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 七月の埃っぽいグラウンドの片隅、昔は眩しい緑色をしていたバックネットの裏で彼らは眠っている。
 どこかの戦場で、運悪く流れ弾に当たって膝から崩れ落ちてしまったかのように、汚れた格好の割りに安らかな顔をして。傾いた日に焼かれ、伸びた影に沈もうとしている死体達に野球部がする事といったら一つしかない。
「……とっとと起きろ、アメフト部!」
 俺のホース無双により、アメフト部からは野太い悲鳴が上がった。


 盤戸高校におけるアメフト部と野球部の関係は、簡単になら「おいアメフト部」だとか「そこの野球部」だとか「チンタラ走ってんじゃねーよ」だとかで説明できる。OBによればそれはそれは深い因縁があったようななかったような、まぁ、とにかく、とりあえずアメフト部と野球部の関係は良好ではなかった。
 なかったのだが。
 春休みに入る前、アメフト部に事件が起きた。訴訟事件ではない。そんなことがあれば野球部までトバッチリを食って夏の大会どころではない。バットが凶器に変わらず何よりだったがここに来て別のものが変わった。野球部のアメフト部を見る目、
というやつが。
 十五人ものレギュラーに裏切られたアメフト部は、多くの哀れみと共に少なくない嘲りも受けた。野球部では後者の傾向が強かったが、正面から喧嘩を売る馬鹿はいなかった。アメフト部が廃れても野球部が困ることはないと、俺達はそのまま静観を決め込むつもりでいたのだが、教師による糾弾が始まると話は別だった。
 指導者にも見捨てられ、弱体化の避けられないであろうアメフト部を一年で取り潰す、という案が出たと聞いた時はさすがに絶句した。一番の味方であるべき大人が何を言うのかと、アメフト部の臨時顧問を前に俺は職員室で間抜けな大口を開けてしまった。

 野球部がよく口にしていた「潰れちまえ」は冗談半分、アメフト部の全盛期に向けたものだ。ハラワタが煮えくり返ることもあったが、俺達をそんな気持ちにさせたのは関西に降った裏切り者の面々ではなかったか。アメフト部という記号に虫が好かないからといって、残った者を嘲り下に見た己の小ささに俺は青ざめ、潔く認めた。アメフト部が本当になくなったらと想像すれば、胸に言いようの無い寂しさがよぎることを。
 寂しいはずだ。二つの部はやることなすこと同族嫌悪の、
盤戸高校におけるライバルの代名詞にまでなっていたのだから。

 大人の理不尽な振る舞いを目の当たりにした日の寝つきは最悪で、翌日の練習は隈をこさえて仲間に心配された。少し迷ったが、仲間も俺と同じ気持ちになってくれるよなと取り潰しの話を相談しかけた時、またしてもアメフト部に関する事件が起こる。

 四月二日。後に伝説として語り継がれることとなる、佐々木コータローによる職員室襲撃事件である。

 手負いの獣とは佐々木のためにある言葉なのかもしれないと、俺は現場に駆けつけた時に思ったものだ。野次馬は春休み中のおかげで少なく、職員室前の渡り廊下に蹲って救急車を待つ佐々木の顔が俺にもよく見えたのだけれど、佐々木のいる場所だけが学園生活から切り離されている不思議に、俺は自然と息を呑んだ。
 濡れ羽の黒も血の赤も誂えたように奴を彩り、かち合った視線は炎を孕んで、たとえ首だけになっても食らいつくと物騒に語っていた。
 そんな佐々木の両隣には、泣いているのか怒っているのかわからない声色で説教をしている沢井ジュリと、言いたいことがあるくせに我慢しているか、
言葉が見つからずに困惑しているかわからない顔をした赤羽隼人がいて、俺は沢井と赤羽に心底同情してから、炎を振り払うように踵を返した。
 この事件、たいそうな題だが中味は温い。佐々木は叫びたいだけ叫ぶと教師の椅子を蹴り飛ばし、その拍子にバランスを崩して机の角に頭を打ちつけ勝手に流血。目を回したまま退場という…討ち入りと言うにはおこがましい粗筋だったが、結果的に奴はアメフト部を救った英雄の一人となったわけだ。

 佐々木コータロー。
 赤が似合う男。
 奴は人と獣の二面性を持っている。

 
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