ほか、いろいろ。

□楽園の姉弟
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【楽園の姉弟】


アントニオにとって竜神智子は美しい人間だった。

それは彼女の外見……キリリとした顔付きや豊満な胸、空手三段の実力でもって引き締められた腰回り、臀部の凹凸への賞賛ではなかった。

入れ替わり立ち替わり。とにもかくにも怪しい、工事現場を渡り歩くブラジル出身の大道芸人やら、教師を目指しているというアフリカからの巨漢の留学生、甘党以外情報の錯綜するロン毛の美形に金髪碧眼の美少年までもが突然自分の弟にまとわりつきはじめ、我が物顔で実家に入り浸るという異常事態にも動じないーーー家長の竜神健悟が受け入れているのならば、と態度で示してみせる、アントニオ達の真意を無理に問い詰めようとはしない彼女の精神、器の柔軟さをアントニオは素晴らしいと感じていた。

しかしだ。恵まれた生活の中で曇りなく磨かれた智子の精神は、アントニオの八方美人を適切な距離でもって処理するしたたかさは、美しいと同時に酷く眩しくもあった。

だからアントニオは智子と喫茶エデンのカウンター越しに向き合うのが好きだった。
板一枚と馬鹿にしてはいけない。

板一枚、店員と客の建前があればこそ、今日もアントニオは智子と火傷しない距離で、なっちゃいない嘘とマコトが交錯する世間話を楽しめるのだから。


「さっちゃんから訊いたわよ。あの翔悟が、自分からお茶の準備を手伝ったとか! 宿題も頑張りだしたとかで……まさかとは思うけど翔悟の奴、オーストラリアで筆おろし、なんてしてきてないわよねぇ?」

前言撤回である。
筆おろし、という単語にメロンソーダを飲んでいたアントニオは見事に噎せて、気管支は熱を帯び、思わず噛んでしまった舌先は火傷したようにしびれもつれ、軽快な二の句は小宇宙へと打ち上げられた。

「翔悟が童貞だろうが非童貞だろうが、この際処女だろうが非処女だろうが構わないけど、さっちゃんがねぇ。さっちゃんてね、翔悟にけっこうな夢を見てるのよ。……ここだけの話にしとくからさ、キミ、思い当たる人物、ゲロっちゃいなさいよ」

ここで、ワタシ・ニホンゴ・ワカリマセーン、とは流石に言えなかった。
平日の午後二時。不幸にも客はアントニオ一人である。智子の右拳は肘を引いて、腰の位置で力を溜めていた。

お相手の第一候補はテメェだ返答によっては顔面に一発ブチ込むぞオラ、という物騒な年上の笑顔に、アントニオは冷や汗をたらしながら懸命に首を振った。

「や、やだなぁ智子さん! おいらの好みは柔らかーい女の子だよっ、翔悟が大人びたのも牧場の仕事のおかげ! ルークとタイロン、坊や……ギルバートだって一緒だったんだぜ、誰のちょっかい、も……」

アントニオが言葉を途切れさせたのは、思考をよどませる新たな刺客……同じ地球人だという敵方のボーンファイター、自分達を軽くあしらった尊大な狼と寡黙な虎に対する舌打ちをこらえるためだった。

あの戦闘でアントニオが味わった苦々しさはいくら唾を吐いてもなくなりはしない。

翔悟は狼虎が示した圧倒的な力に覚悟を決めてしまった。闘わないという道を完全に捨ててしまったのだ。
愛する日常を守りたいからと、ドラゴンボーンの適合者として、魔の神が『裏切り者』に何をもたらすのかも知らぬまま、仲間の、アントニオの心身すらも守ると決めてしまったのだ。

アントニオが大昔に空想した世界に愛される子供、その輪郭に限りなく近いのが翔悟だった。
翔悟を守れば全てが上手くいく。そんな風に思っていたのに、気が付けば守られようとしている。


アントニオは智子に懺悔してしまいたかった。


私達はあなたの大切な弟を人ではなく、力の化身として崇め、あなたから奪うのです。

楽園に住まう二人を分かつことを、どうかお許しください、と。


「……おいら達の目が黒いうちは、翔悟の貞操は死守するからさ。安心、してよ。麗しの智子さん」

智子は父親似、翔悟は母親似だと、多くの人が竜神家の姉弟を似ていないと評してきたらしいが、アントニオの目には二人はそっくりに映っている。

火傷しそうなほどに眩しい芯がある。アントニオの胸を焦がす、楽園の炎がそこにはある。

守りたくて、見つめていたくて。信じたくて、肩を並べていたくて。

アントニオは懺悔の代わりにいつもと同じ、軽薄に見られがちな笑みを浮かべたつもりだったが、智子の瞳に映ったのは今にも泣き出しそうな情けない顔だった。

「……ごめん、さっきの発言はこっちの暴走だった。アレも男だものね。三日四日も会わなきゃ……西から太陽も昇る、か」

「西から太陽? それはコトワザ?」

「あら、これは知らない? 国民的ジョークのひとつよ」

摂理をねじ切る例えに智子は、天才バカボンでググってみなさいな、とアントニオの湿っぽさをウィンクひとつであっという間に乾かしてみせたのだった。



(おわり)

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