‡桜月‡

□『春宮(とうぐう)』
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夜更けに目を覚ました土方は、隣で眠っている千鶴と息子と、そして産まれたばかりの娘を起こさぬよう、褥を抜けて縁側へ出ると、夜闇を照らす下弦の月が静寂の中その光りを湛えていた。

だが時節は未だ春に向かう最中。
体温を容赦なく奪っていく冷気の中に長くいるよりも、早々に妻や子供達の傍へ戻ったほうが賢明なのだろう。けれど今は、空に浮かぶ黄金色の光を見ていたいと思う気持ちの方が少しばかり勝り、その場に腰を下ろした。

土方は昔から、殊更こんな月夜を好んだ。
人が如何に月下で諍いを繰り返そうとその美しさが少しも陰ることが無かった様が、土方の、武士でありたいと願う心にどれだけ響いたか知れない。

キン‥と張り詰めた夜風が、土方の鼻腔を擽る。


「そういや千鶴と会ったあの夜もこんな月夜だったな」


当時は面倒な娘を拾ったとしか思っていなかったが、今ではその娘と夫婦となり、土方の可愛い女房になっているのだから、全く世の中わからないものだ。
そんな昔の事を考えながら一つ、ほぅ‥と息をつくと、廊下をとてとてと歩く足音が近づいてきた。



「父さま〜」


声のした方を見遣れば、それは先程まで隣でよく眠っていた息子の誠志だった。


「なんだ、起きちまったのか?」


土方が招き入れると、小さな身体は膝の間に、ぽすっと収まった。


「まだ日が昇るには早ぇから、床に戻れ。」


「父さまはまだ起きてるのですか?」


「あぁ、もう少しな。」


だから先に行けと促すが誠志は一向に膝から下りようとせず、父親譲りの紫がかった瞳で土方を見上げた。


「もう少しここにいます。ぼく、父さまに母さまのことをききたいんです」


「千鶴のこと?」


土方が繰り返すと、誠志は、真面目な顔でこくりと頷いた。


「僕たちの母さまはお月さまだったのですか?だからいつか僕たちをおいて帰ってしまうのですか?」


「おい、どういうことだ?」


意図するところが解らず、土方は息子に問い返す。


「ねる前に母さまがとってもうれしそうに話してくれたんです。母さまは、父さまの“はるのつき”なのよって。」


「あぁ、そういうことか」


息子の寝物語に話して聞かせてたのだろう千鶴に、自然と頬がゆるむ。


「春の月ってのはな、父様の一等好きなものの事だ。…だが帰るっていうのは何の事だ?」


「月からきた女の人が、たくさんの人がかえらないでっておねがいしてるのに、かえっちゃうお話を友だちになった子からきいたんです。父さま。母さまは、ぼくたちをおいていったりしないですよね?」


どうやら誠志は、友達が話していたお伽話と母親から聞いたばかりの話が混ざってしまい、幼心に母親が月に帰ってしまうと本気で心配したのだろう。目に涙を貯めて小さな手で父親の着物を掴んでいる息子の頭を、土方は安心させるように優しく撫でた。


「大丈夫だ。母様は俺やお前達を置いていったりしねぇよ。だからもう泣くんじゃねえ。」


「本当?」


「あぁ、本当だとも」


離れてしまう辛さを身をもって知っているだけに、もう二度と、例え千鶴が嫌がっても離す事など出来るものか。
かつて近藤がそうであったように、土方にとって千鶴は唯一無二の者になのだから。


「だからな。母様が安心して俺達の処に居られるように、父様と一緒に母様と千桜(ちさ)を守ってくれるか?」


「父さまといっしょに?」


「あぁ、お前は俺の息子だ。頼りにしてるからな」


「はい!ぼく、がんばってみんなを守ります!」


「男同士の約束だ」


父親から信頼されている事が嬉しかったのか、誠志は漸く満面の笑みを零した。土方の容姿に加え、千鶴の面差しも色濃く受け継いでいる息子のその笑顔は、春の日だまりのようだ。


「よし、じゃあ風邪引く前に戻るか」


「はいっ」


土方に抱かれた誠志は、きゃっきゃと逞しい腕にしがみつく。
土方は、だいぶ冷やしてしまった小さな身体を包むように抱えると、共に温もりの待つ褥へと戻っていった。


2011、2、23


我が家の土方家のお子様は、誠志くんと千桜(ちさ)ちゃんと言います。
以後、お見知り置きを♪
いづれ千桜ちゃんの話も書きます

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