‡桜月‡

□『これひとつ』
1ページ/1ページ

此処新選組屯所にて、今まさに悪鬼のごとく怒気を撒き散らしながら愛刀に手をかけている者が一人。

「総司っ!今すぐその手、離しやがれっ!!!」

そしてそんな怒気と気迫に中てられることなく、あろうことか土方の想い人を抱きしめている者が一人。

「土方さんが必要なのは小姓としての千鶴ちゃんでしょう?それ以外のときまで独占しないでくださいよ。僕だって千鶴ちゃんと遊びたいんですから」

更には二人に挟まれ、見事なまでに気迫負けしている憐れな者が一人、沖田の腕の中で子兎のように藻掻いていた。

「沖田さんっ、は、離してくださいっ!でないと本当に斬られちゃいますよ!」

「嫌だなぁ。私闘を禁じた本人がそんなことする訳ないじゃない。ねえ、土方さん?」

「なんだと?」

「ひ、土方さんっ、私は大丈夫ですから、おち、落ちついて…」

「ほ〜ら、誰かさんが睨むから千鶴ちゃんが怯えてるじゃないですか」

火に油を注ぐが如く土方の怒りのツボを的確につく沖田に、千鶴は、本当に悪魔なんじゃないですかと言いかけて何とか飲み下した。

「俺はそいつの煎れた茶が飲みてぇんだ。つべこべ言わずに離せっ!」

土方は千鶴を取り返そうと間合いを詰めるが、沖田は千鶴を抱えたまま、ひらりと身をかわした。

「子供じゃないんだから、そのくらい自分で煎れてくださいよ。」

「もうっ!沖田さん、それじゃあ、どうしたら離してくれるんですか?」

「ばか!そいつの言うことなんか聞くこたぁねえ!」

「そんなこと言っていいんですか?」

沖田はにやりと笑うと、懐から見慣れた冊子を取り出した。

「お前また俺の部屋から勝手に」

「沖田さん、それっ!返してください!」

千鶴は沖田の手から冊子を取り返そうと懸命に手を延ばすが、全くかすりもしない。

「あはは。千鶴ちゃんは本当に可愛いなぁ。土方さんもそう思いませんか?」

沖田は、冊子をとることに夢中になっている千鶴をぎゅっと抱き込み、柔らかい髪が千鶴の頬に触れるほどに距離を縮めた。

「きゃ!」

「これが最後だ…………総司、千鶴を離せ」

土方は俯き、二人に向けてゆらりと一歩を踏み出した。

「お、おき、沖田さんっ!早く!はやくしないと!!」

手遅れになる前にと懇願する千鶴に、沖田はため息をついた。

「千鶴ちゃん、そんなに離して欲しいの?」

「はい!はい!お、お願いします!」

「じゃあ、僕のこと名前で呼んでくれたら離してあげるよ」

「え?」

「てめぇ…人が大人しくしてりゃいい気になりやがって!!!総……」




「総司さん!!」




男二人の埒もないやりとりの中、千鶴の声が響き渡った。

「そろそろ離してくださいませんか、総司さんっ。それから冊子もです!」

「君さ、少しは躊躇わないの?曲がりなりにも土方さんの前なのに」

「いいえ。それが土方さんの為ならば、私は躊躇ったりしません」

はっきりと宣言する千鶴に渋々ながらに拘束を解いた沖田は、おまけだよと冊子を手渡した。千鶴は受け取った冊子を胸に抱きしめて微笑んだ。

「ありがとうございます」

「どういたしまして。それにしても千鶴ちゃんといい近藤さんといい、どうして皆土方さんが好きなのさ」

「それは沖田さんも分かってるんじゃないですか?」

「さあね、全然わかんないな。それじゃあ千鶴ちゃん。後のこと、よろしくね」

沖田は何事も無かったかのように手を振ると、猫のように遠ざかって行ってしまった。





「土方さん、どうぞ」

「千鶴、お前どうして…」

千鶴は、複雑な顔で見つめてくる土方の胸に、差し出した本ごと飛び込んだ。

「ち、千鶴?」

「土方さんを護る。私の望みはこれひとつ、この願いひとつと決めたんです」

沖田に宣言した時と同様に迷いのない千鶴の言葉は、凛々しく決意に満ちていた。

「ったく、逆じゃねえか」

けどまあ、素直に護られてるだけの女じゃねえよな、お前はと苦笑すると、土方は慈しむような微笑を千鶴に向けた。

「お前の決意はわかったが、俺の為というなら、もうあんなことはすんなよ」

「あんなこと?」

土方は、ばつが悪そうにぼそりと呟いた。

「お前が総司の名を呼んだ時には、流石に堪えたぜ」

俺でさえ未だなのにと呟いた言葉もまた千鶴にはしっかりと届いており、千鶴は土方の広い背中に腕をまわした。

「土方さんの名前は私にとって特別なんです。だからまだ呼べません。いつか…いつか自分へのご褒美に、呼んでもいいですか?」

そんな少女のひたむきな願いを、無下にするはずもなく。

「ああ、いくらでも呼べばいい。だがな、それはお前だけの褒美じゃねえからな」

「え?」

「いつか戦を終えたその時には、俺への褒美として呼んでくれ。いいな?」

「はい!喜んで!」


先の事を考えるなど、過ぎた事だとしても。
それでも明日をも知れない世にあって、未来の約束が力になるときもある。

土方は、もしもこの戦の後に生きていたならば、桜の舞う地で、千鶴の微笑む顔を見ながら穏やかに過ごすのも悪くないかと思い、腕の中にいる愛しい存在を強く抱きしめた。



END





土方さんのためにと、強くなってゆく千鶴ちゃんが大好きです!



.


[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ