‡桜月‡

□『雨催い(あまもよい)』
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「味気ねぇな」

酒宴の席に顔を出していた土方は、皆が飲み騒ぐ中、一人静かに御猪口に口をつけていた。
酒の類はあまり強くないものの嫌いではない。
だがどうせ飲むならば、先日娶ったばかりの恋女房の顔を見ながらが良いなどと考えてしまう自分に苦笑し、土方は残りの酒を煽った。


人との関わりを極力避けて暮らしていても、町に下りれば必然的に人との付き合いが生まれるもので。
今日の集まりも、少し前から顔をあわせるようになった町衆から誘われたものだった。
当初、そんなものに興味はなく断るつもりでいた土方だったが、妻の千鶴はといえば人との付き合いをとても大事にしており、結局千鶴に感化されたか絆された土方も顔を出すことになった。


始まってから既に数刻。
さすがにそれだけ経つと酒を注いで回っていた者達も皆好きに飲んでおり、ならばと腰を上げた土方は静かに部屋の外へと抜け出した。
歩き出すと足元がふらついており、存外酒の廻りが早かったらしい。酔いを醒まそうと窓を開けると、雨風が土方の頬を撫ぜた。

「こりゃ、一雨来そうだな」

昼間遠くにみえていた雲が雨を運んできたのだろう。この天気に千鶴は心細くなってはいないだろうか?


「さて皆の衆、今宵はそろそろお開きにしましょうか」

折よく纏め役らしい声が響くと、もう少し飲んでいこうかと相談する声とともに、衣擦れの音がしだした。。

「やれやれ、やっと解放されるか」

これで漸く千鶴の元に帰ってやれると、土方も腰を上げてた。





「トシさん、しっかり飲んでたかい?」

声をかけられた土方の周りには、気づけば数人が集まっていた。

「ああ、だいぶ飲ませてもらったよ」

「それにしちゃ、素面だな。俺達と飲み直すか?」

「いや。一雨来そうし、わりぃが俺は帰る。」

「そんなこと言って、お前さんが帰りたい理由は他にあるんだろ?いいよなぁ、俺だってあんな器量良しの嫁さんがいたら、早く帰りたくもなるぜ」

男は腕組みをし、一人で納得したように、うんうんと頷いた。

「土方さんとこの嫁さんはそんなに別嬪なのか?」

「そりゃあもう。この辺じゃ、ちょっとお目にかかれない美人だよ。なぁ、トシさん?」

土方は口元を緩めて、言葉を足した。

「ああ。美人で気立てがよくて、俺には勿体ないくらいの可愛い女だ」

「ほぅ‥あんたくらい見目の良い男にそこまで言わせる奥方なら、俺も一度会ってみてぇな」

酔っ払いの戯言だと自分に言い聞かせつつも土方は眉間にしっかりと皺を寄せた。
誰が好き好んで千鶴を、酔っ払いの好奇な目に晒したいものか。

「見せもんじゃねぇよ」

土方はあくまで穏便に言いながらも、しっかりした足取りで、酔っ払いの集団よりも先に玄関に向かった。


辿りつくとすぐ玄関の脇にいる姿が目に入り、訝しみながらも土方は声をかけた。

「…千鶴、か?」

「あっ、歳三さん!」

土方の姿を見つけた千鶴は嬉しそうに傍に近寄ってきた。

「お前、どうして此処にいるんだ?家で待ってろっていったろ」

「はい。でも出かける時に傘を持っていかれなかったから、歳三さんが濡れたらいけないと…」

「それでも女がこんな遅くに一人で出歩くんじゃねぇよっ。何かあったらどうすんだ!」

「す、すみません…」

怒られてしゅんとなる千鶴に、言いすぎたかと声をかけようとした矢先、

「トシさん、折角迎えに来てくれた奥さんを怒っちゃいけねぇな」

今一番千鶴に会わせたくない面々が、揃って土方に追いついてきた。

「こりゃまた…」

「ああ‥なかなかの別嬪さんだ。土方さんが俺らに会わせたくないわけだ」

「トシさんも隅に置けねぇなぁ」

「羨ましいぜ、土方さんっ!」



「てめぇらっ!いい加減にしねぇか!!!」



土方は忽ち不機嫌になり、じろじろと無遠慮に千鶴を見ている酔っ払い達を一喝した。
だが土方がどんなに怒鳴ろうと、構わずに笑いあう男達に驚いた千鶴は、やがて土方の後ろで丁寧に頭を下げた。

「皆さん、お世話になっております。土方の家内です。主人を迎えに参りました。」

「奥さん、よく来たねっ!今調度、トシさんご執心の奥方の話をしてたとこだったんだよ。散々惚気られたが、トシさんが来てくれたお陰でこうして奥方に会えたんだから、礼を言わないとな。なぁ、みんな?」


「そう…でしたか///あの、主人ともども、今後ともよろしくお願いします。」

千鶴が頬を染めて微笑むと、男達は揃って感嘆の溜息をついた。

「お、おう!」

「また買物きてくれよ!今度はおまけするからな」

「はい、ありがとうございます」

「もういいだろ。帰るぞ、千鶴」

「で、ではこれで失礼します!」

土方は、話が終わるか終わらないかのうちに千鶴の手を引いて料亭を後にした。

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