2SEASON

□ディパージャー・モニュメント
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『意』

―夢の光景はいつも同じ。

 ひび割れたコンクリートの階段を下りきり、暗く冷たく、先の見えない闇から漂う湿気を帯びた鉄の臭いに緑色の双眸を曇らせば細長い一本路の最奥に錆ついた扉が映る。
 震えの留まらない指先でドアノブを握りしめ、どれだけの間こうして立ちつくしているのだろうか。

 吐き出す息が白く変わるほどの冷気が重厚な鋼扉の隙間からひやりと肌と金糸の髪を薙ぐ。

 鍵は掛っていない。

 少し手首を捻るだけで容易く浮き上がるラッチボルトの音にさえびくりと肩を竦ませる少年の顔は蒼白し、疲れている風に見えた。

(駄目、開けないで)

 怒りとも悲しみともつかない色を浮かべ、唇を噛む自身の背後から囁く。
 勿論、言葉が届く筈も無い。
 これは夢なのだから。

 脳内にこびりつく記憶の断片が混じり合って構成された「事実」、ノンフィクション。
だから自分は抗えない。
 顛末がどれほどの痛みを伴う絶望だと知っていても意は扉を開く。
 変わり果てた友人との再会と離別を繰り返す。

 拘束も監禁もされていない状況下、同じ組織の人間である彼が地下室から逃げる事は容易い筈。

 負傷していても、必ず連れ帰る。
生きてさえいれば救えると思っていた。

 冷凍庫並みの温度設定が施された室内で、氷の張られた浴槽に沈められ、痛みの麻痺した身体に

逃げる脚が在るのなら。

這い出る腕が在るのなら。

 それは可能であったかもしれないが。


「い、や…否、嫌だ!そんな事は出来ない!!」

 こちらに辛うじて向く眼差しと意図する言葉にぺったりと腰を着け意はタイルの床に爪を立てる。
何か救う方法がある筈だと視線を泳がせれば浴槽の隣に作業台らしきテーブルが見えた。

 眼を細め、怪訝に近づくと大小さまざまなサイズの銀トレーに人体の一部が均等に並べられている。
 洗浄され、血の気の無い肌はマネキンの腕と変わらない。
爪の一枚から始まり手首と腕、肺と腎臓の一片。腿と骨。
 傷口の潔癖さと正確さは、悪魔の異常性。
人間の臓器を、四肢を、生きたまま切り除くなんて。
 そんな非道な事が出来る人間が、この世に存在して善い筈が無い。
 息苦しいほどの鼓動に胸を抑え、恐る恐る振り返る。

「最期にこんな我儘を言って済まない。どうか、罪悪なんて感じないでくれ」

 彼の穏やかな人柄を体現したかの様な甘い茶色の髪は乾いた血で額に貼り付き、荒い呼吸を吐いても尚、唇は薄く微笑んでいた。


『―有難う、意』
 自ら瞼を閉じ心からの感謝を最期、彼は意の胸に額を預けた。

 死なない限界まで欠損された亡骸は驚くほど軽く、首にかけた金色の爪を動脈から引き抜くと全身に深紅の雨が降りかかる。
頬を伝う熱が涙なのか、友の血なのかも判らなかった。


「 殺 す 」

 よろめきながらも立ち上がり、抱きかかえていた躰をその場に横たえ低く呟く。
 潜入し敵を欺き、喉元を切り裂く。
危険な任務だとは覚悟していた。

 けれどそれはパートナーの命を奪う事では無い。

「殺 す 、殺してやる…っ!」 
 
 濡れて重みの増したロンググローブを裂き、泣き腫らした顔を甲で拭う。
再び正面を見据えた眼光は収縮し、脳裏には一点しか浮かばない。

 あの「男」を殺すー。

 来た路を駆け上がり、屋敷の廊下に転がり出ると全てを見ていたと嗤う。
にやりと赤い唇を吊り上げた青年が意を馬鹿にした表情で見下ろしていた。

「あれぇ?もしかして、殺したの?酷いなー、友達なのに?」

 げらげらと醜く哄笑するかつての仲間は一瞬動きの固まる獲物を見逃しはしない。
「ふふ、その眼。
私を蔑む、まるで醜悪な物を目の当たりにしているかの様なその眼差しが堪らなく好きだったよ」
 上司であった青年に頭をぐりぐりと押さえ付けられ、地面に叩きつけられる。

もがく事しか出来ない意の顔をまじまじと眺め、男はそう微笑むと徐に指に挟んでいた
銀色のデザートスプーンを片眼に突き立てた。
「っーー!!」

 男はそれを含み、唇を重ねる。

 口の中に広がる血の味。
振り払おうと抵抗するも、生温かい塊はどろりと喉を流れ落ちた。
(…俺の、眼球の味)


 意識は其処でぷつりと途切れ、記憶も抜け落ちた。

 生きる為に。この男を殺す為に。
痛みも苦しみも、友の事も。全て忘れてでも、意は生き延びる事を選択した。

++

「…っ!はっ!」

 広いベッドから半身を跳ね起こし、ぐったりとシーツに頭を乗せる。
 伏したまま首を横に捻れば、淡いグリーンの壁にホワイトボードが置かれていた。
生活感のある家財と、意の症状を考慮した物の配置。

 何時でも書き込みが出来る様、手の届く箇所には必ずペンとボードがある。
(そうか、もう此処は病院では無かったんだ)

 ガウンを羽織り、灯の漏れる扉にそっと歩み寄る。
 同居人の姿を探してドアノブを指に絡めたが、部屋の中から聞こえる声に伸ばした手を引き寄せた。


「なんで…こんな事に…!」

 激しく何かを叩け付ける、らしからぬ物音にひゅと息を吸い込む。


(蒐、いつもと声が違う)
どうしたのだろう?

 悲しみを共有したいのに、歩み寄る事さえ出来ずドアに背を預け、膝を抱える。
いつもは直ぐに迫るその時刻が、今に限ってとても長く感じられた。
意は扉の前に立ち竦んだまま俯き、膝を抱える。
 おそらくは初めて耳にする、「彼」の慟哭をドア越しに聞きながらぼんやりと宙を眺める。

 悪夢からは覚めている筈なのに胸が苦しい。
意は抱えた両膝に額を乗せ、窓に視線を向ければ外はまだ暗く、夜明けは来そうにない。

 早く記憶がリセットされれば良い。
過去は変えられない、失った物は返らない。
だからせめて、辛い事は忘れよう

 俺は何も知らない。覚えていない。
誰も、殺してはいないー。



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