2SEASON

□ディパージャー・モニュメント
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『師』

 見晴らしの良いホテルの最上階で見る夕陽の始まり。
 ナイフに着いた生クリームを舐めとりながら細身の男が満面の微笑で寝室に入ってくる。
 太陽が地平線に溶け出し、空が深紅に染まる逢魔が刻の陽を浴びても尚、彼の金髪がくすむ事は無い。
 腰まで伸びたストレートの長髪を無造作に束ね、細める碧眼に鼎は重い半身を前方に倒した。

「怪我したって話本当だったんだね。驚いたよ」

「疑われる理由が判らないが」
 バニラビーンズの香りが甘く食指を誘う。
見舞いにと持ってきた柔らかなシフォンケーキを皿に切り分け、冷やかす口ぶりで言うと
 ベッドの中でも落ちつきの無い怪我人は直ぐに両手を差し出した。

「ああ、いや。君が嘘を言うとかじゃなくて「あっち」が大袈裟だと思ったのさ」

 ―「あっち」とは無論円の事か。

 ふくよかなベッドに横たえる安静の身を考慮し、今日の師は珍しく献身的だ。
 はい、と構成された完璧な微笑みで開口を促せば鼎はフォークを持つ指に自分の手を重ねもくもくと狐色の生地を食む。

「俺まで食べるつもり?」

 血色の悪い肌色がひと際透き通って見える。
銀食器にまで舌を這わせる妖艶な横顔から首筋へ視線を滑らせ、床上で片膝を付く姿勢のまま
苦笑を零した。
 このままではいつもの展開、いつものペースに呑まれてしまう。

 最も当初はそのつもりで来たのだが。

「だめだめ。そんな痛々しい姿の君には乗れないよ。
万が一傷が開きでもしたら俺の命が…」
 拒む台詞を言い終えない内、鼎の指が開いた唇に触れた。
 傾けた面持ちで深紅の瞳が興味深く師を覗き込む。

「コンタクトにしたんだ」

「そう、君が馨に夢中でいた間に。惚れ直した?」

 いつもなら通った鼻筋に掛っているべき物が無い、と暴かれた瞼に肯定を込めて軽く口付ける。
 淡いブルーの瞳は涼しげな彼の風貌を一層端整に彩っていた。
 じっと見つめればレンズの反射で水面の様に、一瞬潤む。

「レンズ越しじゃない君の眼は凄く…美味しそうだ」

 眼球すら咥えかねない濃厚な目元へのキスに身震いし、思わず跪いていた身を立ち上がらせる。

 本能的な物だろうか。
 ぞくりと背筋に冷たい汗が落ちた。

「美味しそうって、冗談に聞こえないんだけど」
「冗談を言ったつもりもないよ」

 絡めていた腕を掴み、ベッドに押し戻され鼎は不服そうに片眉を動かす。
 子供の様に不貞腐れ視線を逸らすと華奢な体躯が仰向けに沈む。
 極力体重を掛けない様両脇に腕を付き、師はゆっくりと寝着に手を掛けた。

「気が乗らないんじゃ無かったのか」
「いけない事ばかり吐く口にはお仕置きが必要だろう?」

 シーツに押し倒した背中には真新しい包帯が胸から肩にかけ広範囲に巻かれ、鼎自身の甘い香に消毒薬が混ざり合いアブサンみたいな薬草っぽい香りがする。
 本人にそう告げれば「残念ながら幻覚は見せて上げられないけど」と妖しく微笑む。


 いつしか太陽は沈み、オレンジ色の空は深い
藍色に染まっていた。
 濃淡のグレーの翳る室内で布の擦れる音と呼吸だけが重なる。
鼎は自分の顔にふわりと流れる金髪を一筋握り、ゆっくりと瞼を下ろす。
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