『ロマンチスト×エゴイスト』 T

□リプレスバウンド
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5、リプレスバウンド
「殺し屋?殺人鬼?…それは一体誰の事だ?」




 心臓が裂けるかと思うほど、男はもつれる脚を懸命に前へと動かした。
時には転がるほどの勢いで。

 零時を過ぎ、暗闇が世界を覆う街並みを駆け抜ける。
体は悲鳴を上げていたがそれでも、立ち留まる訳にはいかない。

 何故こんな事になったのだろう…。

コンクリートを叩く自分の踵の音が酷く滑稽に聞こえ、力なく笑う。

 彼はごく普通の中年男性。
職業はごく普通のサラリーマン。
妻子も無く、毎日が同じく流れて終わる。
何処にでも居る真面目な男だった。

 ただ。
彼は人よりもほんの少し才能に恵まれた、ある趣味を持っていた。
それ故に命を狙われている。本人の、全く解りえない理由で。

(…撒いたか…?)

 背後を狙う闇から逃れ、見覚えのある通りに出て振り返った。
しんと響く静寂と、濡れた様な闇が深くたち込めているが、追ってくる人の気配はない。
「はあっ…はぁっ…」
 男は肩で大きく肺を鳴らし、震える膝を両手で押さえる。

 一日に朝と夜、職場までの往復する通りを渡り、マンションの入口を抜け、
エレベーターに乗る頃には明日のオリエンテェーションの内容などを考えていた。


 彼が命を狙われるのは二回目だったから。
こんな事にも人は慣れる事が出来るのか。
ゆるゆると首を振り、なかば自身に呆れ気味な呟きを零す。
 汗で汚れたスーツから取り出した鍵で扉を開ける。

 無意識のまま電光を点け暗い室内を照らすと額に触れる鉄塊の感触に息を呑んだ。
 暗い闇から光に暴かれ身を晒す、その人物は。

 先日自分を襲った紅い髪の青年とは違ったが。
漆黒に光る銃口を真っ直ぐに、男の頭部に突きつけ、機械のように無表情で立っていた。

 沈んだ海色の瞳は初めて見たときと変わらない。

「何故だ…」
 男は呻いた。

君はあの時、命を救ってくれたではないかー?
それが、何故…。

 縋るような眼差しに青年は表情を微かに曇らせたが、冷然と問われた題に答えた。

 怒りも、狂喜も感じない。
緩く緩慢な、沈む声が男の最期を告げる。



「二度目は無い、と言った筈だ」


 サイレンサーから鉛の弾丸が脳髄を横断するとほぼ同時に。
その青年…円はさほど感情も込めずに、銃爪を引いた。
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