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□for Happy Winter企画
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(楽園よりもなお、相応しい場所へ)


CHAPTER.1


 潰れてライ麦の胚芽が飛び出た堅いパンを、ひび割れた石の間から小さな生き物が狙っていた。食べなければ死ぬ。何種類ものスープや温かい肉料理、柔らかいブリオッシュやすっぽりと手におさまる品のよいサンドイッチ、そんなものを「食べなければ死ぬ」と思ったことはなかった。今はこの黒いパンを、鼠に取られないように口に入れなければ死ぬ。一口噛み締める度に、塩辛い涙が零れた。

(きっと、叔母たちが自分を探し出してくれるに違いない)

 父に連れられて行った先々で、入れ代わり立ち代わり挨拶を求めたあの貴族たちも。

 自分は、一人ではない。初めの何日かは、そう思っていた。

 檻の中で日数を重ねるにつれ、自分の肉体から精神を分けるようになっていった。身体の汚れを、努めて気にしないようにした。涙は段々出なくなり、代わりにぴったりと頬に冷たい膝を押し付けながら楽しかった家を思い出すようになった。父母の最期は次第に鮮明になり、幾度も眼前に蘇っては凍える眠りを妨げた。

 夜な夜な集う仮面に黒衣の下卑た観衆の中に、自分を知っている者が相当いると気付いたのは、彼らの囁きが耳に入ったときである。


―まぁ、あのファントムハイヴの坊ちゃんが、随分な姿ですこと。
―お前、あれを買い上げてみるか?
―番犬の子狗だ、下手に扱えば噛み付かれるぞ。
―もうそんな気力もありますまい。此処で我らの慰み者になった後は、テムズのほとりに住まうならず者に払い下げられるのみ。…


(知っている)

 ファントムハイヴ家の者だとわかった上で、恐らくは以前親交のあった者さえ、この場で自分を笑っている。

 叫び声を上げようとして、苦い革のベルトを噛ませられた。

(許すものか…)

 思いは黒い滴りとなって喉を伝い落ちた。

(全てを失った)

 憎しみの炎で、あいつらも燃やし尽くしてしまいたい。



「これはこれは、随分と小さなご主人様だ」



 そして、楽園を失った自分を、更に別の地へ導く者が現れたのだ。

(…under saintly shew, deep malice to conceale, couch't with revenge…)




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