Rose branches

□Rose branches -26
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 ずっと溶けて続けていた雪は、地面がある温度になると、溶けずに白く積もり始める。目に見えないそのタイミングは、雪だけが知っているのだろう。



「アンタってホント、ビール好きね」

 星のない空の下に煌々とランタンの灯りが続いて、人通りの絶えない石畳を照らしていた。雨が止んだ後の道は、端に寄せた雪が溶けてひどくぬかるんでいた。吐く息は少し留まって消える。こんな日はジンでも呷るのが一番だとグレルは思ったが、ロナルドは先程からビールばかり飲んでいた。

 1892年1月25日。グレルはロナルドに引きずられるように、ロンドンのパブに来ていた。

 スコットランドの詩人ロバート・バーンズ生誕の日である今日、イギリスではバーンズ・ナイトといってバグパイプの音と共にハギスが登場し、バーンズの詩を朗読する儀式が行われる。伝統的な儀式をしないパブでも‘EAT A HAGGIS’の看板が出され、スコッチ・ウィスキーとハギスがひっきりなしにテーブルに運ばれていた。ハギスは茹でた羊の臓物のミンチを玉ねぎなどと一緒に羊の胃袋に詰めて調理したものである。グレルは勿論それを聞いただけで顔をしかめ、付け合わせの蕪とポテトにしか手を伸ばそうとしなかったが、ロナルドは他の客らと同じようにうまそうに食べていた。

「ハギスにはウィスキーでショ?この寒いのにビールなんて…」
「いいじゃないっスか、結構合いますよ。先輩も食べましょうよ」
「アンタって、そういうの食べないと思ってたワ」
「そういうのって?」
「女の子がキャーキャー言いそうなもの」
「女の子の前では、食べないかもしれませんね」

 グレルはむっとして、透明なジンのグラスを置いた。

「アタシは女の子の部類じゃないっての?」
「ええーっ、どう見ても…」

 ナイフで綺麗に切り分けられたハギスを無視し、店員を呼んで高いチーズと鹿肉の盛り合わせを注文する。

「アンタが連れてきたんだから、当然アンタの奢りよね?」
「冗談きっついなぁ、ジンの飲みすぎじゃないですか」
「女の子には奢るものでショ」
「それは、あとの見返りがあるからですよ。先輩がそれを払ってくれるってコトなら、いいですけど」

 グレルはマッシュポテトをフォークで掬い、一度置いて、再びジンのグラスを手に取った。

 賑やかな店内が一瞬、遠のいた気がした。
 再び降り出した雨が、沸騰するような音を立てて、路地を濡らしていた。





「ここはあったかいですね」

 先程まで誰かが残っていたらしい協会の建物の暗がりには、微かな温もりが残っている。

 飲みすぎたバーンズ・ナイトから、二週間後。

 あの夜、帰り道で強引に口付けたロナルドは何故か、酒臭さも臓物の匂いもせず、若々しいスパイシーな香りに包まれていた。

「んっ…ちょ…んんっ…」

 回収したシネマティック・レコードを置いて、ロナルドの様子を伺っていたグレルの唇は案の定、バーンズの夜と同じように貪られる。

「はっ…、…ねぇ、先輩ってホント、黒髪の男が好きなんですね。スピアーズ先輩に、セバスちゃんに…」
「べ、別に髪の色で決めてるんじゃないわヨ」
「ホントですか?そういえば、あのリアン・ストーカーのこともイイ男って言ってましたね…じゃあ、俺にもチャンスありですか?」
「何言って…んっ…」

 書類をどかしたデスクの上で、ズボンのベルトが開けられる。

「やっ、ちょっと、あんっ」
「ここ、ちゃんと手入れしてるんですね。こんなところの毛も赤いなんて…」
「やだっ、触らない…でっ」
「まさか、初めてじゃないですよね?」
「そ、んな、強く、擦…っ、いやっ…」
「可愛い顔しちゃって…」

 器用な指先でグレルを煽り、背中を向けさせる。
 臀部に押し当てられる固いものの感触に、思わず喘ぎ声を漏らす。グレルはデスクに爪を立て、背中を反らせた。

「あ、アンタの結構…っ、んっ…、…ああんっ」
「若造だと思って、ナメてました?」

 そのまま深く突き立て、グレルの細い身体をしっかりと抱き締めて突き上げる。

「あっ、はぁっ、あぁん、や…っ、そんな、ああっ、そこ、だめぇっ、ロナル…ド…ッ」
「ここですか?…分かり易過ぎ…ですよ」
「あん、馬鹿、あっ、ああっ、そこばっかり…っ、はぁ、っ…もう、もう出そっ…!」

 ロナルドが咄嗟に敷いた書類の上に、熱い快楽を撒く。書類は波打ち、白濁は暗がりの中に沈んでいった。
 おさまりきらなかったロナルドの精液が臀部を伝うのを感じながら、グレルは小さなため息を零した。片想いをしているウィリアムが相手ではないのに、歓びが身体を満たしていた。

「あ、アタシ…誰でもいいワケじゃ、ないんだから…ッ」

 しゃがんで自分の身体を拭うロナルドを見下ろしながら、震える声でそう呟く。

「知ってますよ。俺だって、どんなビールでもいいワケじゃないっス」
「はぁ…?」
「見返り、ありがとうございました」

 グレルの服を直してやり、頬に口付ける。

「今度はシャンパンに誘わせて下さいね」
「……」

 送るつもりなのか、そう言って恭しく手を取る。グレルは掛け直した眼鏡の奥から後輩を見、フンと鼻を鳴らして顔を赤らめた。





 1892年2月29日。

 細かい雪がアーケードの上や、その中から出てくる婦人の毛皮の襟に降り積もっていた。

「結婚してちょうだいよ」

 商店街の隅から聞こえた女の声に、思わず振り向く。一組の男女が店と店の間で、幸せそうに見つめ合っているところだった。

「指輪は、どうするんだい」
「嫌ね、それは貴方が買ってよ」

 ぷっと噴き出しそうになりながら、雪の空へ跳び上がる。

(‘Leap Day’ネ…いいじゃない)

 シャンパンの約束は、本気だろうか。
 女の子だと思わせたのかどうか、きちんと確かめてみようと思った。



(ずっと溶けて続けていた雪は、地面がある温度になると、溶けずに白く積もり始める。目に見えないそのタイミングは、雪だけが知っているのだろう。)


END

<後書きがあります…!>
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