Rose branches
□Rose branches -30
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「面白くないなァ…」
雨が縦糸・横糸のように灰色の空を縫い、垂れ込めて視界を遮っていた。
手足は力を持て余していた。身体が重い、と言うと「食べ過ぎだ」とフィップスとジョンが口を揃える。そんな遣り取りを今朝から二、三度繰り返し、「もういいよ!」と一人誰もいない中庭にやって来たが、雨が降っていることに変わりはない。レイピアを振るい、絡み付くような細かい雨を斬る。切っ先から水滴が滴り、その一本の値段が何と同じかと度々言われるバルモラル城の美しい柱を映した。
「…いっか、濡れても」
しなる手首の動きに合わせて、レイピアの柄から先端にかけて白い光が滑る。
自分も、濡れてしまおう。雨だから遠乗りをしてはいけない、などという決まりはどこにもない。
レイピアを一振りして鞘に仕舞うと、グレイは硬い靴音を立てて踵を返し、厩舎へと向かった。
風に吹かれた雨が、ざあっと地面を叩いた。負けずに、白い床を小さな足で踏み締めた。
「どこへ行くんだ」
抱えた公文書の向こうに、外へ出ようとしているグレイの姿を見つけ、フィップスは声を上げた。
「遠乗り」
「…雨だぞ」
「ボクの勝手でしょ」
「道がぬかるんで、危険だろう」
書類を片手に持ち直し、グレイの肩を掴む。
「…、離してよ」
「だが、馬が足を折ったら…」
「ボクの馬は、そんなひ弱じゃない。ボクも…!」
肩を揺すって、大きな手を振り落す。
早足でその場から立ち去るが、フィップスはなおもグレイを引き留めようとした。
「おい…」
「ひよこみたいについて来るなよ!一緒に来たらただじゃおかないから!」
その剣幕に一瞬怯み、書類を取り落す。
「待っ…」
グレイは走り出し、薄絹のような雨の中に消えて行ってしまった。
「どうした?」
騒ぎが聞こえたのか、やって来たジョンが書類を一枚拾い上げ、辺りを見回す。
「いや…、グレイがこの雨の中、遠乗りに行くと」
「仕事をサボって?それは陛下に報告して、夕食抜きの罰にすべきだな」
「危ないと止めたんだが…」
「ふうん…逢い引きか…いや、色気より食い気の貴公子に限って、そんなことはないか…ここはロンドンじゃないしな」
ジョンの言葉に、書類を集めていたフィップスは顔を上げ、再びグレイの走って行った方を見つめた。
雨が絡み合い、グレイを攫って行くような気がした。
「…っ」
城の門を出て、川伝いに馬を走らせる。が、幾らも進まないうちにグレイの白い愛馬はぬかるみに足を取られ、立ち往生してしまった。
手綱を操り、なんとか固い土の上へ移る。
「もうっ…」
前髪から垂れる冷たい滴を幾度振り払っても、濡れた長い睫毛が景色を濁らせる。
重くなった服、泥だらけの足元。こうなることはわかっていたのに。
緑の葉を茂らせる灌木に身を寄せる。吐いたため息が熱い。
(フィップス…)
身体の重い原因は、鬱々と閉じ籠っているせいばかりではないのかもしれなかった。滑らかな鞍の上、濡れた下着の中の自分自身が勃ち上がりかけていた。
このままでは帰れない。今、ここで処理してしまおうか。
そう考え、もう一度首を振って額を流れる雫を振り落した。
「あっ…」
細かい雨の帳の向こうに、フィップスの姿が見えた。