Rose branches
□Rose branches -33
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貸し切りパーティーのはずなのに、Club Aquariumは普段の土曜と変わらない数の客でひしめき合っていた。
経済紙に名前の載らない日はほとんどないと言われる業界トップの玩具・製菓ブランド、ファントム社。その社長はこの喧騒の中どこにいるのだろう。アランは目を凝らしたが、すぐにため息を吐いて首を振った。
(とりあえず、エリックを探そう)
シエル・ファントムハイヴという名前は、何故か以前から気になっていた。折角だから一目見ておきたいと思ったが、まだらな光が覆う暗いフロアの中では二兎は追えそうにない。聞いたこともないような大音量の音楽も、既に神経を疲れさせている。
『悪ィ、すげー酔っちまった。迎えに来てくれねぇか』
酒臭さが伝わってきそうな途切れ途切れの電話があったのは、四十分も前である。スリングビー邸の運転手は既に帰ってしまっていた。キャブを表に待たせ、事情を説明して中に入れてもらったが、踊っている客はかき分けてもかき分けてもブルグルのように零れてきた。
「いた…エリック」
見慣れた金髪がテーブルの上でうつ伏せになっていた。駆け寄ろうとしてアランは、ふと足を止めた。
しなだれかかるマドンナブルーのドレス。白いデコルテ、ハニーボブのプラチナブロンド、攻撃的な長い爪。
深呼吸をして、気持ちを落ち着ける。
「エリック」
強い香りはシャネルのアリュールだろうか。カールした睫毛の奥が胡散臭そうにこちらを見ているのを無視し、肩を揺する。アランは顔をしかめながら、エリックに呼びかけ続けた。
「エリック、俺だよ。帰ろう」
「あ、あ…アランか…一杯やろうぜ」
「何言ってるんだ。キャブを待たせてるから、ほら、早く立って」
「逃げやしねぇよ、キャブは…」
そう言って再びテーブルに沈み込みそうになる身体を、懸命に持ち上げる。なんとか椅子から引きずり降ろし、肩を貸して一歩を踏み出す。
(う…)
自分よりエリックのほうが体格がよいのは知っている。が、肩を貸して歩けないほど自分が非力だとは思わなかった。熱気で眼鏡が曇り、視界がぼやける。
(マズいな…)
そう思った瞬間、不意に身体が軽くなるのを感じた。
バランスを崩して踏鞴を踏みながら、後ろを振り返る。
「エリック…?」
目を覚まして自力で立ったのかと思ったが、そうではなかった。エリックは見知らぬ黒い服の男に担がれ、目を閉じたまま何か呟いていた。
「ご友人ですか?」
「あ、あの…」
喋ったのは、黒い服の男ではない。
アランは驚きながら、その横に立っている、小さな少年を見た。
「キャブをお呼びしましょうか?」
大人びた表情、落ち着いた物腰。ポール・スミスのジャケットの襟に付けられた、華やかなコサージュ。
ファントム社主催のパーティーである。コサージュを付けているのはファントム社の重役か、大切な取引先などの来賓―エリックのような―しかあり得ない。
(もしかして)
アランは黒い服の男と少年を交互に見ながら、眼鏡を直して言った。
「あ、あの、すみません。キャブは表に待たせてあるんです。でも、俺の力では連れて行けなくて」
「お送りしましょう。僕らもちょうど、帰るところです」
「帰る?で、でも君…貴方は」
歩き出した二人と担がれている一人を追いかけながら、アランはBGMに飲み込まれないよう必死に声を上げた。
「ファントム社の…」
「子供はもう、寝る時間ですから」
振り向いた笑顔は、熱気の中で青く滲んだ気がした。
シエル・ファントムハイヴ。どこかで会ったような気がするのは、何故だろうと思った。