Rose branches

□Rose branches -35
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 魂は『理性』『気概』『欲望』の三つの部分に分けることができる。それぞれを頭部・胸部・手足が担い、『理性』が知恵を、『気概』が勇気を、『欲望』が節制を身につけ、三つの徳が調和したとき、魂は正義の徳を得る。これがギリシアの先哲が唱えた四元徳である。





「約束したよねぇ…?」

 腕に抱いた鳩は、主人の声に気付いて少し温かい体を動かしたらしかった。
 ウィリアムはしばらくドアの傍に立っていたが、隅に置かれたテーブルの上に木製の籠があるのを見つけると、近寄ってその中に鳩を押し込んだ。白い鳩は、丸い目をきょろきょろさせてウィリアムとベッドの中の主人を見た。ピンク色の脚が寒々としていた。

「貴方が引退した日、この鳩もいなくなって…もしやと思っていました」
「ヒッヒッ」

 アンダーテイカーは薄い布団を持ち上げると、小さく咳込んだ。

「覚えていたのですか、あんな約束を」
「忘れないよ…小生、普段約束なんかしないからね」

 枕の上で、一つにくくられた銀の髪が海の生き物のように光っていた。
 ウィリアムは一度部屋を出て、キッチンへ向かった。持参したオートミールでポリッジを作り、お湯に蜂蜜を溶かしたものと共に寝室へ運ぶ。
 アンダーテイカーは子供のように喜んで、ウィリアムが一口ずつ冷ましたポリッジを啜った。

「薬は、どこですか」

 黒い爪が示した引き出しを開け、それを乗せて再びスプーンを口元に運んでやる。
 アンダーテイカーがベッドに潜り込むと、ウィリアムは固く絞ったタオルを額の上に乗せてやろうとした。

 ふと手を止め、顔をしかめる。

「熱では、ないのですか?」
「熱だよ」
「冷たいではありませんか」
「ええ?よく確かめてご覧よ」

 ウィリアムは眼鏡を置いて、額と額を近付けた。

 と、布団をはねのけて現れた腕に、絡め取られる。

「……!」

 敏捷な動きが、ぼやけた視界を翻弄する。組み伏せられ、押し付けられた柔らかい唇が一度離れてようやく、ウィリアムは声を荒げて抵抗した。

「…こんな悪戯のために、私を呼んだのですか…っ」
「ヒッヒッ…こんなに上手くいくとは、思わなかったけどねぇ」
「下らないことを…、んっ…離して、下さ」
「だって、約束は約束じゃないか」
「鳩まで、盗んで…用意周到ですね」
「いつでも、君を呼び出せるようにさ」

 アンダーテイカーは再び口付けようとした。が、ウィリアムはかろうじてアンダーテイカーの腕からすり抜けると、眼鏡を掴み、ベッドから転がり出た。二人の騒ぎに、籠の中の鳩がくっくっと鳴いて羽をばたつかせた。

「真の運動能力はAAA級、だったねぇ」
「はぁ…、…っ」
「かいがいしく看病してくれるから、てっきり期待してるのかと思ったんだけどなぁ」

 ベッドに腰掛け、楯鱗のような髪の下で嗤う。シルバーグレイの薄いバスローブから、肩が透け、胸元が見え隠れしていた。

「…っ」

 ウィリアムは何も言わずに部屋を出、階段を駆け下りた。
 キッチンには、あとで運んでやろうと思っていた果物が並んでいた。一瞥して、外へ飛び出す。

 汗ばんだ額に、インク壺を倒したような黒い空が冷たかった。




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