ReBirth
□ReBirth -05
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何処からか、オレンジの花の香りがしていた。
あどけない香りは巧緻な建物の装飾を撫で、学校特有の書物の臭いと、新緑の風と混ざり合い、回廊を漂っていた。陽差しは強く濃厚だった。
―あなたの一番幸福な時はいつでした?
遠くに見える背の高い花壇の薔薇と、革靴の足元の間を縫う視線の先に、昔読んだ詩の一節が瞬く。
回廊の向こう側、揺らめく緑の陰に、捜していた人影が重なった。
寮監ミカエリスは執事セバスチャンにも増して忙しい。
何しろ、執事だったときには数人の我が儘と失敗に付き合っていればよかったのが、ここでは相手の数が膨大なのである。名門校のエリートだから手がかかるというのではないものの、勉強の指導や厳格な寮生活の監督には、かなり時間を割かねばならなかった。
調査の報告をし合うのでなければ、会いたいというだけでは会えない。
そう決めたわけではないが、シエルはそんな気がしていた。
屋敷では、好きなときに会えた。それをありがたかったとか、贅沢だったなどとは思いたくない。自分の、当然の権利なのだから。…
しかし、心の空白は募り、足はいつの間にかオレンジの花の香りと爽やかな風の中を駆け出していた。
「…おや、坊ちゃん。何か進展がありましたか?」
眼鏡の奥の艶やかな瞳が、じっとシエルを見下ろす。
「…今日は、ない」
短く言って、その瞳を見返す。
それだけで、意思は通じたらしかった。
「…五分しかありませんが、よろしいですか?」
そう言うと、セバスチャンは黒いマントの中にシエルを抱え、近くの建物へ入った。
来客用の宿泊施設だが、今日誰も利用しないことは把握している。
外気の遮断された、人工の明るさと静けさの中で、改めて向き合う。
「ん…むっ…」
五分後にどうせ離れてしまうのなら、思いきり求めても恥ずかしくない。
そう心に勢いをつけ、セバスチャンの身体に跨がる。口付けのたびに柔らかいベッドが軋む。よく知っている胸に、自分を預ける。時間が来るまで、きつく抱きしめていて欲しかった。
「セバスチャン…」
これまでに見た、セバスチャンが他の生徒や教師といる光景が、脳裡を過ぎる。
「僕…だけの…」
背中に回されていた手が、シエルの下腹部に伸ばされる。
「ん…っ」
セバスチャンの指先はやがてその形を探し当て、幾度もなぞり始めた。
「…五分しか…、ないんだろう…?」
期待を込めてそう呟く。 セバスチャンの両肩に手を置くと、滑らかな鎖骨の曲線を感じた。もうずっと、シャツの下は見ていなかった。
セバスチャンはシエルから手を離すと、シルバーの懐中時計を開いた。
「…そうでした。もう、行かなくては」
「…ちょ…っ!」
ベッドから立ち上がると、服を整え、眼鏡を直す。
「申し訳ありません、マイロード」
「…」
慇懃な微笑みとお辞儀の前では、為す術もない。
シエルが何も言えずにいる間に、黒い影は窓から出て行ってしまった。オレンジの花の香りが、一筋の風と共に室内をかき乱した。
「あいつ…っ、一体どういう…!」
火を点けただけで行ってしまった相手に、憤ってもそれは勢いを増すばかりである。
仕方なく、自分の手をその場所に伸ばす。
「…っ」
自分の小さな指は、セバスチャンのそれとは明らかに感触が異なる。シエルは一生懸命、思い出し、思い描こうとした。
右手で包んだ固いそれの先端から液体が滲み出、掌を濡らしてゆく。
「は…ぁ、んっ…」
前のほうを慰めるだけでは、物足りない。いつもセバスチャンが居るはずの場所が、次第に熱を帯びていく。
「ん…うっ…、足り、な…」
息を吸った瞬間、鼻腔にオレンジの花を感じた。
先刻、この香りの中でセバスチャンを見つけたときは、幸せだったのに。…
「そこ…に…」
四つん這いになり、シーツを掴む。身体が勝手に、セバスチャンの動くリズムで揺れる。
手の動きは速くなり、瞼に汗が流れた。
「も…うっ…!セバ…ッ」
「お待たせ致しました」
「…!?」
シエルは慌てて手を離し、窓のほうを振り返った。
「な…っ、用事があったんじゃないのか!?」
「ええ、ですから、今終わらせて来たのです」
「お前…っ」
「アガレス先生がお怪我なさらなければ、もっと早く戻れたのですが」
そう言いながら、黒い服を脱いでゆく。
マント、眼鏡、上着、シャツ。それはしばらく一緒にいられるという証でもあった。
「…都合がつくなら、先に言え!」
先程、花の香りを感じたときには、既に室内にいたのかもしれない。恥ずかしさで顔を真っ赤にしながらシエルは叫んだ。
「…、用事とやらが終わってからにすれば、こんな…」
「申し訳ありません、…でも、五分でも多く、お傍にいたかったものですから」
赤い瞳の微笑が眩しい。
シエルの逃げ場は、長い腕に塞がれる。
「…では、どこから始めればよろしいですか?」
「…ど…っ、す、好きにしろ…っ!」
「おや、そうですか…?では、少し性急になっても?」
「ふ…ぁっ、まだ…っ」
「…あんな姿を見せられては…ね」
シーツを掴む手に、手が重なる。
―あなたの一番…
五分のはずだった時間は、永遠に続くかの様に、二人を包んでいた。
END
引用:『ヴェルレーヌ詩集』新潮文庫
(4/17 感謝!4周年!!…がこの短さで申し訳ありません…><)