ReBirth

□ReBirth -06
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 ブレナム宮殿は1700年代初頭に、初代モールバラ公爵の功績を称えて、アン女王から贈られた土地と報奨金で建てられた豪奢な宮殿である。正確には、アン女王の幼少の頃からの遊び相手であったモールバラ公爵夫人が、政治的事情により女王の不興を買ったため、1712年に建設工事が一時中断され、その後モールバラ家の出資により再開して現在の形に完成した。
 ウィンストン・レオナード・スペンサー=チャーチルは1874年11月30日、この広大な宮殿の一室で生まれた。シエルはこの未来の名宰相の誕生会に、8つの頃から毎年招かれていた。

「ファントムハイヴ伯爵、変わらないね」

 特別な晩餐の前のアフタヌーン・ティーは、控え目な上品さで白いテーブルクロスの上に広げられていた。ラベンダーの花模様の器に盛られた果物、スリーティアードを飾る小さなサンドウィッチ、スコーン、栗の糖菓、花瓶に生けられた黒に近い深紅の冬薔薇。外でお茶を飲むには寒かったが、暖炉に火を入れる程ではなかった。楽士が二人、部屋の隅でベートーヴェンのロマンス第二番を奏でていた。

「変わらないように見えるだけだ。今年はシーズンでも会ったじゃないか」
「そうかもしれないけど…」

 ヴァイオリンの弦が微細に震え、ビロードの如く重たげな冬薔薇が莞爾として微笑んだように思えた。弦の切れる前が一番良く鳴ると言ったのは、誰だったろうか。
 ウィンストンはやや吃音気味で、引っ込み思案なところもあったが、シエルに対してはすらすら言葉が出てくるらしかった。怒らせるかもしれない言葉は、穏やかなピアノ・ソロの間に言ってしまうことにしたらしい。ティーカップの向こうで、再びおずおずと口を開く。

「やっぱり、女の子みたいだなと思って」

 シエルは僅かに赤面して、それをウィンストンに言われたことより、傍に控えている執事に聞かれたことを恥ずかしく思った。もう一つのテーブルにいるウィンストンの母親と親族の女達には、幸い聞こえていないようだった。

 ヴァイオリンの音が戻って来、「ファントムハイヴ伯爵がお土産に下さったハーブティーは、美味しいこと」と言うウィンストンの母親の声と、幸福な協奏を奏でた。

「勿論、君の狩りやフェンシングの腕前に、僕は遠く及ばないけれどね…?」

 公爵の家系であり政治家の息子らしい余裕、というより一歳年上の落ち着きがその微笑に見てとれた。

「中性的っていうのは、特別ってことだよ」

 シエルは碧がかった青い瞳を上げて、ウィンストンを見た。

「アンドロギュノス崇拝?…貴殿から、そんな悪魔的な言葉を聞くとはな」
「気に障ったなら許してくれ給え」
「そんなことはない」
「僕の言葉は、君程深い思考を持って生まれてくるのじゃないんだから…こんな、気のおけない場ではね。君と話してると、僕は何故か普段みたいに吃ることもないんだよ…やっぱり、君が特別だからじゃないかな…」

 夕方、公爵家自慢のタペストリーの前でウィンストンが忙しく来賓に挨拶しなければならない時間が来ると、シエルはサルーンを抜け出して庭園へ向かった。

 ヴァンブラの大橋がさざ波の上にどっしりと聳えていた。鋳鉄が優美な曲線を描く脇門の扉の向こうに、月の光と霜で半化粧された森が見えた。

「『いまいましい美しさ!』…と、思っておいでなのですか?」

 バルザック『サラジーヌ』の引用で穏やかな夜想をかき乱したのは、付いて来た黒い執事である。

「…ウィンストンは素直に見た目の感想を言っただけだ。お前のいやらしいコメントこそ、いまいましい」

 言い捨てたはずなのに、振り返ってその顔を見ると、動けなくなってしまう。

「ふふ…確かにあの方は、身長は坊ちゃんとそうお変わりないのに、中性的ではありませんね。何が異なるのでしょう?」

 白い手袋を嵌めた手が伸ばされ、シエルの頬に触れる。

「瞳の大きさ、眉の麗しさ、肌のきめ細かさ…、魂の色」

 明るい部屋で流れていたロマンスが、暗闇に立つ胸の裡を不意にかけ巡る。切れる前の弦のように、緊張が高まる。

「一度裁判にかけなければ…、こんなに美しくて特別な貴方は、男の子なのか、女の子なのか、それも人とは全く違う今宵の月のようなものか」

 狭い肩に置かれた手が、やたらに大きく感じられた。




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