The Secret Garden

□The Secret Garden-09
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 『狼の口』がしっかりと開いたスコーンには、朝食らしく、甘すぎないフルーツソースとクリームチーズをミックスしたディップが添えられている。

 真っ白な皿には、小さなグラタンと華やかなサラダ。
 ルッコラやセイヨウタンポポ、チコリーに、今日のための特製ドレッシングがかけられる。

 一口食べてシエルは「変わった味だな」と呟いた。

「プロヴァンス風のサラダには、よく合っているが」
「チョコレート・シロップを使用しております。変わっているのはそのためでございましょう」
「チョコレート…気付かなかった」
「甘くなり過ぎないよう果物の酢を混ぜ、塩、胡椒それにオリーブオイルとヘーゼルナッツオイルでまろやかに仕上げました」
「ふうん…」

 よく磨かれたシルバーのフォークで、器用にサラダを口に運ぶ。チョコレートの味を探して、ゆっくりと咀嚼する。
 フォークを置き、温かいモーニング・ティーを飲みながら、シエルは雪の積もった窓辺に目を遣った。

 雪の照り返しと檸檬色の日差しがガラスの上で溶け合い、光の輪を作っていた。円の向こうに小鳥が舞い降り、光を遮ったため、一瞬ハートの形が現れたように思った。シエルはカップを置いて、小さくため息を吐いた。

 昨日までは、ファントム社の社長としていつも以上に忙しい日々を過ごしていた。就任してから、二回目の2月14日。半年前からクリスマスと並行して準備をすすめ、百貨店では予想を上回る数の客を獲得することに成功した。

 仕事は、うまくいった。が、一週間程前、シエルは些細なことでセバスチャンに苛立ちをぶつけてしまっていた。

 主人と使用人である。いくらわがままをぶつけようとも構わないのではあるが、シエルは気が重かった。こうしてバレンタインらしく料理にチョコレートなど使用しているところを見ると、セバスチャンはもう忘れているのかもしれない。

(どうにかして…はっきりと謝りたい)

 ファントム社のチョコレートは、数多の恋人たちのキューピッドになっているはずである。
 自分は、チョコレートを食べない執事にどう気持ちを伝えればよいのか。
 今日になっても、分からないままだった。





「ひな鶏のモーレ・ソース添え、ブルグル(挽き割り小麦)といんげん豆のサラダでございます」

 ディナーのメインディッシュを覗き込み、再び問いかける。

「この色は、もしかして…」
「ええ、モーレはカカオ豆を使用した、メキシコ料理に使われるソースでございます」

 甘いのか、ビターなのかと想像しながら、皮の付いた肉を切ってソースを絡める。スパイスの効いたソースは甘くも苦くもなく、ピリリとした味わいを舌の上に残した。

「変わっているが、うまい」
「ありがとうございます」

 食べながら、もうすぐ今日が終わってしまうことへの焦りを感じる。あと何時間かでバレンタイン・デーは終わり、明日が来てしまう。1887年2月15日…

 はたと気が付き、「手袋を脱げ」と命じた。

「手が、どうか…?」

 怪訝な表情で、右の手袋を外す。シエルはその手を見、安堵して、デザートのための小さなフォークを手に取った。

「いや、…もういい。…勉強するから、あとで書斎にお茶を」
「かしこまりました」

 ポートワインで作られた、白いエアーを添えた果物が、軽やかに喉を滑り落ちる。
 うまくいけばいいと思った。





「……」
「……」

 難しい顔で、セバスチャンの指先を見つめる。

「…あの、」
「喋るな」

 ガラスと爪の触れ合う不快な音が、書斎に響いている。

「坊ちゃん、やすりを使うのは初めてでいらっしゃるのでは?」
「……」

 使い方は、知っているつもりだった。が、自分がされるのと人にしてやるのとでは、随分勝手が違う。

 親指から始めて、まだ、人差し指である。セバスチャンが運んできたアフターディナー・ティーは、一口飲んだだけで、すっかり冷めてしまっていた。

「こういう風に、動かすのですよ」
「こうか?」
「ええ、そう…」

 焦りながら、一本ずつ仕上げていく。
 次第にコツを覚え、スピードが増す。が、小指まで終え、改めて右手全体を眺めて、シエルは「…すまなかった」と呟いた。

 美しく力強い、契約印を取り囲む5つの爪。その黒は、噴き出しそうなほど歪になってしまっている。

「ふふ…面白い形になりました。ありがとうございます」
「左手は、もう、しないほうがいいな…」

 散々な有様の右手とやすりを拭い、向かい合わせにしていた椅子から立ち上がる。




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