for Projects

□for Pierce企画
1ページ/4ページ





「ピアスの痕、みたいだ…」



 シエルは布団の下から腕を伸ばし、執事の右耳に触れた。白い耳たぶに、小さな傷を見つけたからだ。がちょうの羽毛をたっぷりと詰め込んだ布団は動きに合わせて揺れ、眠そうな衣ずれの音を立てた。燭台の火が三つ、微かな風に揺られて二人の影を踊らせた。台湾蛇文の台に丸い金縁の文字盤を嵌めた時計の針はちょうど三時を差している。普段なら別々の部屋で眠っている―片方は、横になっているだけだが―はずの二人が同じ寝室にいるのは、一時間前にシエルが体調不良を訴え、セバスチャンを呼んだからである。



「昼間、背の高い薔薇を切りましたから、そのときに刺したのかもしれません。この姿になってから、そういった装飾品は着けたことがございませんゆえに」



 主人の手を包むように、自分の手を重ねる。小さな手が冷えてゆくのを感じ、それを布団の下へと誘った。



「薔薇…」



 シエルの脳裏に、杏色の花弁に埋もれる執事の姿が浮かんだ。それは何故か、懐かしい光景とオーバーラップした。布団の中でセバスチャンの手を握り、目を閉じると小さな声で呟いた。



「薔薇の棘は、『不幸中の幸い』だ」

「棘にも、花言葉のようなものが?」



 セバスチャンは柔らかい髪を幾度も撫でてやりながら、低く囁いた。シエルの呼吸は既に落ち着き、頬には赤みが戻っている。夜半に突然呼ばれることは、仕え始めてから何度かあった。が、こうして自分が傍にいると、幼い主人は安心するようだった。

蛇文岩の時計が四時を差し、かすかな寝息が白い耳に忍び込んだ。セバスチャンは立ち上がると、音も立てずにドアを開け、廊下に滑り出た。







(自分がこの少年と出会ったのは―…果たして彼にとって、幸いだったのだろうか)



 セバスチャンは今まで触れずにいた心の一部に、おそるおそる手を伸ばした。

 花が咲いている。極大輪の薔薇である。薔薇には棘があり、根がある。柔らかい記憶の土に手を差し込めば、美しく咲く薔薇の下、埋もれた過去に指が触れる。「今」という名の花の下に隠れた、血と泪に飲まれどす黒く沈黙している過去である。

 シエルの頭の中ではその記憶が、本来、積もる時間の層が深く覆い隠すはずのあの色のない場所が、地表を這う根のように時折、通り過ぎる日々のつま先を邪魔し、躓かせようとしているのだろう。



(貴方は今、檻の外にいるのですよ。そして光の中にいる)



 そう言ってやらなければ、今もまだ彼は、ないはずの檻に閉じ込められてしまうのかもしれない。暗い記憶、薔薇の蕾が膨らみ始めたあの日。…





次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ