for Projects

□for Pierce企画
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 翌朝は非常に晴れていたが、二月らしい寒さがイングランドを覆っていた。セバスチャンは上段にあたたかい紅茶を、下段に新聞を乗せた銀のワゴンを押して寝室に入り、優雅な手つきで胡桃材の扉を閉めた。

 新聞には丁寧にアイロンがかけられている。これは見栄えをよくするほか、インクが指につかないようにするためで、アーリー・モーニング・ティーの準備とともに執事の大切な仕事となっている。



「昨夜、お前を見て思い出したんだ」



 今朝はスカラ座での『オテロ』の初演の様子が写真付きで報じられていた。シエルは色の違う両瞳で、ゆっくりと記事を追った。



「お父様がしていた、青い、ピアス」



 二杯目のアールグレイを受け取り、シエルは自分が言葉にしたものを思い出そうとして、瞬きを繰り返した。それから、手にしたティーカップをしげしげと眺めた。セバスチャンが最近取り寄せた美しいセットである。セーブルブルーに細かな金彩がちりばめられ、底には1/12という数字があった。カップから湯気が立ち上り、可愛らしい唇をベルガモットの香りが包んだ。



「こんな色の…もっと深い青だったかもしれない…」

「陶製でございますか」

「いいや、パールだ。お父様によくお似合いだった。あのピアスはどうしたろう…。焼けた屋敷から、指輪は拾ったけれど、他のものは思い出す余裕もなかった…」



 遠くなるシエルの眼差しの前に、セバスチャンの微笑みが現れる。わ、とカップを落としそうになり、シエルは思わず相手を睨んだ。



「『真珠の耳飾りの少女』…ヨハネス・フェルメールが描いたあの絵の少女は、振り返りざまの一瞬、瞳・唇・真珠が光を浴びて輝く様子が見事に描かれていました」

「…で、何が言いたい」

「ふふ…少女のように可愛らしい坊ちゃんなら、そのようなアクセサリーもお似合いになるかもしれませんね?」

「…馬鹿な、ことを…」



 シエルはため息をつきながら、にやけ顔にカップとソーサをつき返した。ベッドから降り、着替えを待つ。セバスチャンは腕に白いシャツをかけ、シエルの前に膝をついてナイティのボタンを丁寧に開けてやった。下から現れた、きめ細かな白い肌が、朝の陽光の中で眩しかった。



「本日の坊ちゃんのご予定は…」



 タイを結び終えるまでに、いくつもの人名、社名が告げられた。



 ドアを開け、出て行くシエルの後ろで、セバスチャンはその耳に大粒の真珠が飾られているのを思い浮かべた。



 手袋をはめた手が、そっと三日月型の唇を隠した。







「もしもし?執事君、小生の棺をご注文かい?」

「いえ、今日はおうかがいしたいことがありまして」



 電話の相手はロンドンに店を構える葬儀屋である。ファントムハイヴ家とは長い付き合いで、先代と最も親しかった裏社会の者の一人だった。



「ヴィンセント様がお亡くなりになる直前までつけておられたとしたら、燃えてしまった可能性が高いのですが…」



 受話器の向こうから、彼が固いクッキーを頬張る音が聞こえた。



「ヒッヒ。レイチェルがヴィンセントに贈った、ピアスだろう。覚えているとも…黒真珠にしては青い、青い、まるで真珠が暗い海の底から陽のあたる水面に溶け出そうとしているかのような、綺麗な波色のパールだったねぇ」



 アンダーテイカーはクッキーの入った骨壷をカラカラと回した。左回りに、まるで時計の針を躊躇いながら戻すかのように、回しては止め、止めては回した。



「…ねぇ、執事君。あの二人を特製の棺に入れたのは確かに小生なんだけれど…ヒッヒ。じゃあ、いつどんな形で入れたと思う?」

「…?」



 骨壷は彼の手を離れ、塗りのはげた机の上で小さく振動した。アンダーテイカーはクッキーの半分を飲み込み、半分をつまんだまま静かに笑った。



「ヴィンセントにとっては義理の妹にあたるマダム・レッドがファントムハイヴ邸に到着したとき、屋敷は完全に炎に包まれていて、もうどうしようもなかった。でも、ヒッヒ…。小生はそれより少し早く、そこに着いていたんだ」

「…まさか」

「小生はご遺体の代わりに人数分の骨を置いて、店に帰った。骨はマダムが持ってきた、埋葬のために。小生はそれを受け取って、代わりに、ちゃんとご遺体が入った棺を渡したのさ。骨だけにしては重いなんて、案外みんな気がつかないんだ」

「…墓石の下には、ご遺体があるのですね。燃やされなかったお二人の」

「そうだよ、ヒッヒ…小生が『綺麗に』した二人だよ。ああ、でも…ピアスのために墓を暴く必要はないんだ」



 電話が終わると、アンダーテイカーは骨壷の蓋を閉めて棚に入れ、寝室へ向かった。

 寝室の窓では崩れかけた木の鎧戸がかろうじて雨戸の役目を果たしており、斜めに午後の光を通していた。アンダーテイカーがベッドに俯せになると、細い腰の上で光のストライプが歪んだ。



「ヴィンセント、隠すつもりは、なかったんだけれど」



 長い爪がシーツをなぞる。引き裂いてしまう手前の強さで、何かを慈しむような、辿るような黒い爪が幾度も行き来する。



(ねぇ、でも、地上の凄惨に少し疲れていただろう…?汐の底で生まれて、悲痛をくるんだあの深蒼…)





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