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□for 不死蝶企画 01
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 潮の渦巻く海の最果てにその島はあった。黒い波浪が削る海食崖は寄り付き難い死の島の表情を全くの無に見せていた。無、あるいは眠り、あるいは死であり、それらは何と呼ばれようが島にとっては変わりなかった。時折契約の労働を終えた悪魔が人間<餌>を携えやって来た。彼等は午餐ないし晩餐を終えると砂州に横たわり天を仰いだ。見よ、神の創造の根幹であれ枝葉であれ我等が誘惑には勝てぬ、と。遠くエデンの園で最初の誘惑を始めた眷属に誇らしく思いを馳せる者もいた。それはキリストの聖餐を真似る教徒の聖祭にも似ていた。結局は創始者のコピーなのである。

 此処で食されるのはわざわざ邪魔の入らない場所を選んで味わうに値する魂であった。そういう魂の中には稀に転生するものがあった。不死の蝶は満足した悪魔の唇から細い脚で這い出ると、四方の荒海を見渡した。そして冷たい空気を避け、ゆらゆらと飛んだ。島の中心には不毛の地を好んで咲く花の一群があった。蝶はそこで羽を休めた。不死蝶の黒い瞳は恐ろしく滾っていた。いつかこの島を出て人の世に帰ろうと、ゆっくり羽を開閉させながら時を待っていた。普段悪魔等はそれを食べようとはしなかった。それは脂身も肉も削がれた骨のようなものだったから。

 不死蝶は滅多に生まれなかった。また段々と転生の確率は低くなっていった。死んでまで生きたいと思う人間は減っていた。一時の快楽のために人は死んだ。結局は始祖のコピーだったのだ。



「ロナルド・ノックス。大きな仕事が始まりますよ」

 死神派遣協会管理課のウィリアム・T・スピアーズはそう言うと高枝切り鋏型のデスサイズで眼鏡の位置を直した。

「人間が不死だなどと、あってはならないこと」

 ウィリアムの手の中で革表紙のファイルが音を立てて閉じられる。無機質なデスクが並ぶ薄暗がりの中で、黄緑色の瞳が気概を燃やしていた。

「例え蝶の姿になっていても…我々は魂を狩るのみです。淡々と、坦々と」






(二度とない)

 1886年にルートヴィヒ2世が死去したあと、ノイシュバンシュタイン城は内装工事が全て中止され一般に公開されていた。セバスチャンはその地下の鍾乳洞の奥深くに人目につかない空間を見つけて棲みついていた。思い出の残るイギリスには居難く、といって人間の世界も離れ難かった。再び素晴らしい魂の持ち主に出会えるかもしれない。そう考える一方で、すぐさま心の深淵から響く声がそんな希望をかき消しもした。

(二度と、ない)

 革命の躍進めざましいロンドン市街に比べ浮世離れした古風なこの城は肌に合っていた。セバスチャンは昼も夜も暗い洞窟の中にいた。夜になると樫や大理石の壁が記憶したワーグナーの音楽がそっと染み出して闇を支配する。その人の耳に聞こえぬ音は調度品の金の白鳥の羽を細かく震わせ、地下洞の碧い水面近くを漂った。黙って耳を傾けていると闇の中に蝶が瞬くのが見えた。小さな元主人の魂を食したあとに生まれた、光る蝶−…。セバスチャンはその蝶を死の島の園に置いてきたのだった。生前に繋がれていた数多の鎖、特に女王の番犬という首輪の先の鎖と自分が刻んだ契約印から解き放たれたシエルの転生蝶は、幻想的な花園の中で穏やかにため息を吐いたように思えた。これでよかったのだ、セバスチャンはそう思った。園より生まれ園を追われ、人はまた園に還るのだ−…悪魔<誘惑>に捕らわれさえしなければ。

「…?」

 ある日、フュッセンの空を死神達が翔んでゆくのが見えた。セバスチャンは身体を起こし、その光景を見つめ赤い瞳を煌かせた。






「ぐずぐずしてはいられませんよ。害獣に気取られる前に、全ての不死蝶を回収してしまわなければ」
「あぁん、こんなぶっとい岩削ったらアタシのデスサイズの歯がボロボロになっちゃ」
「つべこべいわずにやりなさい!」

 死の島の中心にある蝶の園は、長い年月の間に岩で周りを塞がれ、わずかな隙間から中を覗くことができるだけになっていた。蝶や風は行き来できたが、余さず狩るためには中から追い出さなくてはならない。ロナルドは芝刈り機型デスサイズを持って待機し、グレルはぶつぶつ言いながら岩にデスサイズを当て、ウィリアムも梃子の原理で岩をどかそうとデスサイズを突き立てた。
その時だった。




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