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□for 不死蝶企画 04
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「お屋敷よりは、手狭ですが」
アンティークのソファに落ち着き、セバスチャンが淹れたダージリンを口にする。
(昔みたいだ…な)
追憶はミレイのオフィーリアへと繋がった。あれは、屋敷にあったものだ。抗わず、苦悶の表情を浮かべるでもなく、冷たい小川に身を任せた少女の美しさ。
セバスチャンはシエルの隣に座り、そっと大腿の上に手を置いた。
「…っ」
身体と、下着の間に、何か温かいものがじわりと広がるのを感じる。
「お疲れでしょう?」
深く、細い瞳が自分を覗き込む。
研磨された鋭利さと、悠久の刻を包み込んだ豊かさがそこにあった。
「…セバスチャン」
「今夜はもう、お休みに…昔のように、歯を磨いて、お身体を洗って差し上げますよ」
X.
羞恥で身体が火照り、なかなか寝付けない。
「セバス、チャン」
声が上ずっていた。
慌てて咳払いをし、セバスチャンがいるはずの場所に背を向ける。
「何です?」
「こっちへ…入って、来い」
さらさらと衣擦れの音がし、乾燥した空気が揺れた。
初めて見た、異性の身体。
そうなっている自分の身体をセバスチャンにも、見られたこと。
だが、いつまでも恥ずかしさを引きずってはいられない。
「何故、僕は…生きている?こんな、身体で」
その問いは、昼間投げかけたときより、やや湿気を含んで灰色がかっていた。
ベッドが軋み、セバスチャンの手がそっと髪に触れる。
「坊ちゃん。…今は、坊ちゃんではありませんが…貴方は、人間として生まれ、一度悪魔になり、再び人間に戻った」
「…ああ」
「普通、それだけの経験をすれば、精神が先に死にます」
「…」
「ですが、貴方は生きている。深みを増した魂を携えて…魂の味は、その人間がより多くの出来事や感情を体験することで、更に美味になる」
「だから…」
「そうです」
セバスチャンの紅い瞳が、すぐ真上で輝いていた。外から交響する自動車の音や人の声が聞こえ、賑やかな夜はまるで聖書の暗黒都市のようだった。
「貴方が耐えられるなら」
唇が、あの夜のように煌めく。
「より多くの経験をさせることで、魂を誰も味わったことのない極上のものに磨き上げたい」
その声は、今までに聞いたことがないほど存在に相応しい艶を帯びていた。セバスチャンは今、どの悪魔も手にしたことのない悦びを思い描き、見つめているのだ。
「ふ…悪魔…」
自分は。
生かされてはいるが、その命は既に悪魔の手中にあり、‘味つけ’の段階に入っているのだ。
「ええ、私は、あくまで…」
声は耳のすぐ傍に、堕ちた。
Y.
「…で?」
「はい、ここが練習スタジオです」
「何で…何で僕が歌手なんだ!?」
二人は街路の黄葉の美しいコヴェント・ガーデン近くのビルの一室にやって来ていた。アーティストの闊歩するこの界隈は若い活気に溢れ、騒音も一層けたたましかったが、二人のいる部屋は完全防音である。
シエルがこの時代の機器に精通していれば、最新の設備にいい意味で驚いたかもしれない。が、生憎シエルにとっては、全てが不気味でしかない。機械の作り出した音に合わせて歌うなどというのはかなりの無理難題で、声を出すだけで精一杯だった。
「嗚呼…ますます魂が美味になるのを感じます」
「お前は一体どこまで経験させる気なんだ!」
「しかし、困りましたね。一ヶ月半後にTV番組でのデビューが控えているというのに」
顎に手を当て、眉間に皺を寄せる。燕尾服をジャケットに着替えてはいたが、手には相変わらず白い手袋をはめていた。ただし革製で、指先のあいたタイプのものである。
「ば、番組…!?TVに、映るのか…!?」
「その後も各局の音楽番組に連日出演、視聴者からの問い合わせが殺到しクリスマスに発売するCDは爆発的ヒットで話題をさらうという計画です」
「よくわからないが、何か狙っている感じだけは伝わってきたぞ」
結局、その日は簡単なボイストレーニングをした後、向かい合って座り、楽譜を見ながらたどたどしく練習しただけだった。曲も歌詞も、シエルの知っている歌とは随分違っていた。
「音楽も、変わるんだな…。ベートーベンは忘れ去られた過去の化石か?」
「そういうわけでは、ございませんが」
セバスチャンは小さな機械をいじると、丸いものがついている黒いコードの先端をシエルの耳に当てた。
「…、何だ、耳が痛い。こんな近くで聞く必要あるのか?」
「申し訳ありません。現代のスタイルでして…これは‘Imagine’といって、音楽の新時代を築いたバンドの曲です」
「ふうん、いい歌詞だな」
「こちらは別のバンドの‘移民の歌’」
「なんだか、荒々しいな」
「ああ、坊ちゃんにはアイドルになっていただくのですから、女性歌手の曲もお勉強されたほうがよいですね…カナダ出身の金髪の少女が歌う‘Complicated’」
「いい歌のようだが、これをお前が聞いてると思うと何故か腹が立つな」
「あとは、まあ、40人を超えるアイドルグループの歌など」
「合唱団?」
アイドル、という言葉の意味を、なんとなく理解する。可愛らしい声や身なりで、大衆を熱狂させるのだろう。ライバルも多いに違いない。
シエルは頭を抱えた。一度は死んだつもりなのだから、今更何が起きても動じないが、全く不安がないわけではなかった。
「大丈夫ですよ、坊ちゃん、いえ、お嬢様は必ず成功なさいます。私はあくまで、名プロデューサーですから」
「もはや、どこから突っ込んだらいいかわからない…」
ボイストレーニングのせいか、性別のせいか、少し高くなってしまった声で、シエルは唸った。
Z.
「それでは、歌っていただきましょう!今夜当番組で鮮烈なデビューを果たす、ツインテールの激萌えアイドル、ル・シエル!曲は『恋のワガママ、冬@ロンドン』!」
生放送ではないのが、せめてもの救いである。
シエルは黒いカメラの接近にぎょっとしながらも、必死の笑顔でなんとか歌いきった。飾りのたくさんついた胸は重く、短すぎるスカートから伸びた脚は下からのライトに熱く照らされている。汗だくになってセバスチャンの元へ戻ると、「よくできました」という言葉と共にタオルで首元を覆われた。
「ぷはっ…」
差し出されたスポーツドリンクを、三分の一飲み干す。
「気持ちよかったですか?」
「何が…ッ、全然だ…!」
「少し、ここが開きすぎでしたね。ひやりとさせられました」
指先が、胸の谷間に下ろされる。