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□for 不死蝶企画 05
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「変なフィップス。…あ」
困惑したような声に、きつかったのか、と鏡の中の白い顔を覗き込む。
「どうした?」
「いや、ただちょっと…」
口ごもったグレイの力のない声が、サテンの生地を滑り落ちる。
ぴったりフィットするドレスは、露出度が高くなくても、身体の線を浮かび上がらせ羞恥を煽るのだ。
「裸みたい。女って、よくこんなの着られるね」
フィップスは少し後ろに下がって眺め、優しい声で言った。
「でも、よく似合ってる」
「そう?」
多少の違和感は、詰め物を入れて舞台用の化粧をすればなくなるだろう。ヌーディなドレスは、若々しい魅力を妖艶なものに変えていた。
「ショールでも巻けば、見せたくないところは隠せるんじゃないか。まあ、隠すものがあるわけじゃ」
そう言いかけ、ふと口を噤んだ。
ドレスが浮かび上がらせた臀部は、円熟した女性と比べても遜色がないように思われた。美しい青い丸みはまるで、英国の君主が戴冠式の際に左手に持つ『君主の宝珠』のようだった。
思わず、手を伸ばしそうになる。訴えることのできない感情の暗い焔が、再び胸の内を舐める。
「…撮ってもいいか?」
「え、一枚だけね。あとでボクの携帯にも送って?笑うから」
「本当のメルセデスは、歩いたら躓きそうなドレスだったんだろうな」
「今、コヴェント・ガーデンのオペラハウスで演ってるよ、本物。…ああ、今度、コヴェント・ガーデンでディナーしようか。お針子の御礼に、御馳走するから。あのホラ、今人気のアイドル、何だっけ…」
「ル・シエル?」
「そーそー、あいつがたまにいるレストラン、口止めされてるけどフィップスになら教えてもいいよ」
「そのあとは?」
「そのあと?」
考えるより先に、言葉が零れ出た。はっとしたが、もし…という考えが熱の引かない胸から溶け出し、フィップスはグレイの答えを待った。
グレイは意図を掴みかね、首を傾げた。
いつも誠実な、朴訥という印象さえ与える弓形の瞼の下に、見たことのない情欲が揺らいでいる。知っているはずのフィップスでは、ない。
「は…はぁ?」
ひどく男性的な眼差しに射られ、身体の中心がざわめく。
「な、何、期待してるの?」
強気な声で、主導権を奪う。動揺を隠して、勢いよくファスナーを下ろす。ぴったりしたものを着るよりは、脱いでしまったほうが恥ずかしくない。そんな発見もまとめて丸め、ソファに放り投げた。
フィップスは我に返ると、黙ってソファに座り針を持ち上げた。その瞳は嵐が過ぎ去ったあとのように、静けさを取り戻していた。
(…あれ?)
振り上げた拳を、どこに下ろせばいいかわからない。
グレイはTシャツだけ着ると、フィップスの横にどすんと座った。
「で…いいわけ?」
探りを入れるように、恐る恐る問い掛けた。フィップスが求めていたものは、何だったのか?
「何も」
糸を切りながら、フィップスは落ち着いた声で答えた。
「すまない」
グレイは、繋がっていたものがぷつりと切られたような気持ちがし、呆気に取られてその横顔を見詰めた。
十数年、ずっとそうして諦めてきた。フィップスの穏やかな声は、そう言っているのだろうか。
まるで、イフ城に幽閉されたエドモン・ダンテスが、メルセデスを諦めきれず、それでも無理に自分を納得させたのと同じように。…
「写真は首から下だけ!ちょっと、触らないでよね!」
押し寄せるクラスメート達から、必死に逃げる。
衣装はグレイの予想に反して、大好評だった。注目されるのは、嫌いではない。が、変な画像をばらまかれては将来に関わる。
逃げながらふと窓の外に目を遣ると、すぐにそれとわかる背中が遠ざかってゆくのが見えた。
(あ…)
フィップスはこのところ、付き合いが悪い。
以前はグレイを迎えに来る車で一緒に帰っていたのに、この数日は別々だった。若い運転手はうっかり「フィップスさんは」と口にして‘坊ちゃん’に睨まれていた。
衣装はこんなに評判がいいのに、フィップスは自分を避けている。
そう、あの日から。
『明日、用事ある?』
『いいや』
『ボクの家に来て?歴史のレポートが出てるでしょ?』
『ああ』
『一緒にやろう』
『ああ、わかった』
淡々と綴られたメールの文字から、目を背けた。
自分たちの間には、どんな溝もあって欲しくはない。フィップスが自分から離れてゆくのは、許せない。