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□for 不死蝶企画 06
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『燕』

「きゃっ」

 花壇の前にしゃがみ込んでいたエリザベスは、明るい驚きの声を上げ、小さな手で口元を覆った。

 シエルは陽射しを照り返している白いテーブルから立ち上がり、婚約者の元へ歩み寄った。

 暖かい春の午後だった。

 アーモンドの木は腕いっぱいに淡紅色の生命を燃やし、デュランタは賑やかに伸ばしたライム色の蔓と葉で美しい蕾の房を抱えていた。白と赤のデージーが手を振るように風に揺れ、その向こうにはどこまでもサクラソウの海が広がっていた。

「どうした?」

 エリザベスは大きな声を上げてしまったことを恥じながら、金色の巻き毛を揺らして「何でもないの」と言った。

「何でもないの…あのね、チューリップを眺めていたら、中から小さな蝶々が出て来たの」
「中から?」
「親指姫のお友達かもしれないわ。きっとそうよ」

 エリザベスの微笑みにつられて、シエルも少し口元を上げた。

「あ、シエル。今、笑ったわ」

 花の香りのするレースの手袋を嵌めた手で、シエルの頬に触れる。シエルはどきりとしながら、その温かい手の上にそっと自分の手を重ねた。

「…散歩、しようか」
「ええ、喜んで」

 シエルはエリザベスの手を握ったまま、黙って歩き始めた。手を繋いだのは久しぶりだった。エリザベスはコルセットで押さえた胸が大きく弾むのを感じた。何か始まりそうな春の空気が、小さな身体を満たしていた。甘い蜜の香りと眩しい光の中を、二人はゆっくりと歩いた。

「親指姫に羽があったら、自分で王子様のところへ飛んでいけたかしら」
「どうかな。王子がどこにいるかは、知らなかったんじゃないか」
「そうね、花の国の在りかはきっと、燕しか知らないんだわ。燕を助けたから、幸せになれたのよね」

 エリザベスは立ち止まると、自分より少し大きな、重たい指輪を嵌めた手を、強く握り返した。

「でも、私は知ってる。花の国は、ここでしょう?」

 エリザベスはシエルの手を握って駆け出した。オレンジ色の絹の裾から、ビジューを縫い付けたレースが風を孕んでふわりと舞い上がった。

 走りながら、シエルはふと白いテーブルの横で自分達を見守るセバスチャンを振り返った。いつか自分を遠い国に連れていくだろう、黒い羽のその影を。

(一日の妻と見えけり蝶二つ 大島蓼太)




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